風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

フラグメントの快楽 -1Q84-

1Q84」BOOK3を読む前にBOOK1から読み直しているのだが(実に楽しい!)、昨日、
日記帳村上春樹のアナロジー(例え)の例として、以下のフレーズを挙げた。


【引用始まり】 ---
彼女は何をするにしても、ほとんど音というものを立てなかった。
森を横切っていく賢い雌狐のように。
【引用終わり】 ---


今朝、ふと思いついて、あっ、と息を飲んだ。
ヤナーチェクには『利口な女狐の物語』というオペラがある。
(ご承知の通り「1Q84」ではヤナーチェクの『シンフォニエッタ』が大きな意味を持つ
 音楽として、役割を与えられている)
どうして昨日記事を書いていた時に気づかなかったのだろう?
村上春樹はこのオペラを念頭に置いて、この部分でこのアナロジーを使ったに相違ない。


1Q84」を読む上でのヒントになるかもしれないので、どういう筋のオペラかここに備忘
のため記しておく。ヤナーチェク自身が友人のマックス・ブロート宛に書いた手紙の一節
より。(吉田秀和「私の好きな曲」P128より引用)


【引用始まり】 ---
私の女狐のビストロウシュカも同じです。盗みを働いたり鶏を殺したり
はしたのですが、それでも立派な感情を持つことは可能なのです。
 ビストロウシュカは恋をしていますが、それは真剣な恋なのです。
校長先生は大きな花を開いた垣根のヒマワリに向かって恋の告白を
しますが、牧師は学生時代の恋の思い出にふけります。
 ビストロウシュカは森のいたるところをさまよい歩きます。猟場番
が大声と銃声でビストロウシュカを追い立てると、校長と牧師はあわて
ふためいて姿を消します。


 ビストロウシュカは子狐の一群を引きつれています。家庭の幸福。
 密猟者が鳥の入った籠を森の中におくと、ビストロウシュカが姿を
現し、彼をからかいます。男が銃をとって、彼女をおいかける間に、
子狐がよってたかって鳥籠をからにしてしまいます。
 密猟者は籠の鳥に群がっている赤い子狐たちを見て、髪を逆立て、
盲滅法に銃を討ち− ビストロウシュカが殺されます。


 猟場番と校長は年をとり、牧師はよその土地に赴任してしまっています。
 森の中は春です。しかしやはり時がたっています。
 猟場番はありとあらゆる生きもののいる森の夢をみています。彼は
ビストロウシュカの姿を探すけれど、彼女はもうどこにもいません。
しかしその時、彼女と全く同じ姿をした小さな女狐が彼の足許に
よちよちやって来ます。『お前はおっかさんそっくりだぞ!』
こうして悪も善も新たになって生命の中を循環するのです。
これで終わりです。
【引用終わり】 ---


日記帳に書いたこととかぶるけれど、村上春樹を読む楽しみの一つは彼が文章の中に
散りばめた、このような色とりどりのフラグメント(断片)を玩味したり、読み解いたり、
インスパイアされたりすることにある。
BOOK1で挙げればこんなひそやかなフレーズなどもそうだ。


【引用始まり】 ---
文化人類学の)目的のひとつは、人々の抱く個別的なイメージを
相対化し、そこに人間にとって普遍的な共通項を見いだし、もう一度、
それを個人にフィードバックすることだ。そうすることによって、
人は自立しつつ何かに属するというポジションを獲得できるかもしれない。
【引用終わり】 ---


文化人類学の目的は『人が自立しつつ何かに属するポジションを獲得すること』である
という明確な言明!
これは、学問の外から人生と世界の脊髄を貫く定義である、と僕は感じ入った。
こういう目が眩むような知的で美しいフラグメントが散りばめられている限り、僕は
村上春樹を読み続けるだろう。