風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

1Q84 BOOK3

1Q84 BOOK3」を読了した。
少しずつ楽しんで読んでいたのにあっという間に読了してしまい、気が抜けてしまった
感じである。ネタバレになってはいけないのであるが、BOOK3の最後は、村上作品にして
は珍しい強い終止感を持って終わる。全てがクリアになるようなエンディングではない
のだけれど、ある種の達成と終止感は間違いなくあるのだ。
それが僕には少々物足りない印象をもたらす。
なんというか、この物語はもっとオープンエンドであって欲しかった。


とはいうものの、BOOK3の構成を考えるとやむを得ないのかもしれないとも思う。
BOOK1、BOOK2は双方とも24章で構成されており、青豆の章、天吾の章と交互に構成されて
いる。村上春樹本人が述べている通り、章の構成はバッハの平均律クラヴィーア曲集
同じ構成になっている(BOOK1とBOOK2に分かれ、24曲がひとつずつ別の調性の長調
短調前奏曲&フーガから構成されている)。


ではBOOK3はどうだろうか。
BOOK3は31の章で構成されている。
村上本人のコメントはないものの、僕はバッハの「ゴールドベルク変奏曲」と同じ構成
ではないか、と考えている(勝手な想像かもしれないが)。
BOOK3では牛河の章、青豆の章、天吾の章と3つがグループで繰り返す構成になっている。
ゴールドベルク変奏曲もアリアと30の変奏から成り、変奏曲は3つ一組グループになって
いることはよく知られている。
最初と最後には同じアリアが演奏される。つまり「この曲全体が大きな円環を成して
いる」と言えばBOOK3を読了された方なら「ああそうか」と納得頂けることと思う。


この変奏曲の変奏の主題は低音部で奏でられ、ロマン派時代の変奏曲のように目立つこと
なく全曲に通底している。
ではこの小説に通底している主題は何だろう。
それは『暴力と性と愛』ではないか。
この作品においては、それらが救いなく交錯する中で、村上はある結論を強引に導いて
しまったように思われる。
そのありようについては賛否両論あるところだろう。
しかし作者はそうしたかったし、そうせざる得なかったのかもしれない。
牛河の言うところの『ソーニャのいないラスコーリニコフ』が溢れているこの世界で、
これ以上救いのない物語を紡いだところで何になろう?
ドストエフスキーだって同じ結論を出したのだ。

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3