「人間の自然状態」は本当か?
アニマルプラネットの「ミーアキャットの世界」がお気に入りでDVDに録画
して見ている。彼らの社会では「優位のメス」がリーダーとして血族グループ
を率いる。「優位のメス」と交尾して子孫を残せるのは一番強くて体が大きい
「優位のオス」だけである。一方、彼らの子供を含む「劣位のメス」や「劣位
のオス」は子供を産むことが許されていないし、劣位のメスは単に他グループ
のオスと交尾したことが知られただけでも(臭いでわかるらしい)群れから
追い出されてしまう。
ミーアキャットが群れから追い出されると生存が極端に難しくなる。
彼らの天敵はワシや他の捕食動物なのだが、群れで行動するとき彼らは必ず
見張りを立てる(立ち上がってあたりを見回しているおなじみの可愛い行動だ)。
また優位のメスの子供は共同で守るために巣穴にはかならず見張りを残す。
ところが群れから追い出された劣位のメスの場合、一人では捕食している間の
見張りができなくなるのみならず、捕食の間に巣穴を守る見張り番も立てられ
ないのだ。
それでも繁殖という生物学的にやむにやまれぬ本能ゆえ、劣位のメスたちは他の
グループの劣位のオスとこっそり交尾して子供を産むのだが、それが優位のメス
に知られると、優位のメスは劣位のメスの子供を殺してしまうこともある。
もっとも、血族グループの頭数が少ない時はそのまま一家の子供として優先度は
低いものの優位のメスの子供たちと共に育てられることもある。
なぜなら血族の頭数が一定以上でないと他の一家との生存競争に負けるからだ。
事実、彼ら血族グループ間の争いは激しく、縄張りを掛けて生死をかけた争いが
展開され、負けたほうの子供たちはしばしば食われてしまう。
ちょっと長くなってしまった。
この番組で繰り広げられるミーアキャットの生存競争の様子を見ているうちに
太古の昔は、人間の「自然状態」もこうだったのかもしれない、と思ったのだ。
血族グループを形成してその中で大きくて強い者が優位を持ち力で統御しつつ、
劣位のオス・メスにはメリットが出ないような「ミーアキャットの社会」と同様
のシステムで生きていたのではないだろうか。
そのうちに動物と異なって知性を持つ人間は(いわゆるレヴィ=ストロースの
言う)「女性の贈与(=婚姻)」という手段を開発し、劣位メスの処分と同時
に親族グループ間の関係の安定と近親交配の危険を避ける手法を編み出すに
到った、と考えられないだろうか。
まぁこの説が妥当かどうか、もう既に唱えられている説なのかどうかも定か
ではない(というのは、この説はたった今、書きながら思いついたので(笑))。
ただ言えるのは、たとえばルソーが唱えた「人間の自然状態」(自由で平等で
平和な理想的状態)やホッブスのそれ(万人の万人に対する闘争)やロックの
それ(自由・平等で一応平和な状態)は、思想を組み立てる仮定的前提条件では
あっても実際の「人間の自然状態」とはおおいに異なる可能性が非常に大きいと
いうことは言えるのではないか。
こういった仮定的前提条件の破綻は思想そのものの構造にどう影響してくるの
だろう? 数学で言えば公理が破綻した状態で定理を導くに等しいように思える。
僕には今、そこまで論を広げて検討する元気はないけれども興味深い問題である
とは思っている。