風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

仕事と生き方

4月から新しい役職で仕事をすることになった。
仕事上の責任がこれまでとは桁違いに重くなったことにに加えて、馴れない単身
赴任生活だからだろうか、ひどく風邪を引いてしまって、ほうほうのていでこの
週末、自宅に帰ってきた。
今日は一日ソファでうつらうつら。
まだ喉が痛くて参っている。

最近、もっぱらビジネス書とビジネス雑誌を読む毎日。
寝ても覚めても仕事のことばかり浮かんできて他のことを考える余裕がまったく
ない。悔しいなぁと思うけれどもしようがない。
今は、自分を奮い立たせ、部下の士気を高め、打って出るために必要な本を読み、
覚悟を決めて突っ走るだけ突っ走るしかない、と思う。
だからそういう気持ちになれるように、読む本を慎重に選んでいるのだ。

3月に老子関連の本を読み、とても感じるところがあった。
評判になっている加島祥造の「求めない」も読了。
ビジネス書や雑誌、それから士気が高まるような小説やらを読みつつも、老子
な人生のとらえ方、生き方、考え方は全く間違っていない、と強く思う。
僕も立場が違ったらきっと老子的な生き方を、自分の生き方のバランスの中で
メインに置くようにするだろうとも思う。

だが、運命はそういうスタンスを今は僕に取らせないようだ。
今の僕は以前記事「H.M.S. Yurisees」に書いたところの、ユリシーズ号の艦長
の役割を果たさなくてはならない(びっくりするほど似ている)。
老子的なパースペクティブ、ものの見方は残念ながらこの立場にはそぐわない。
だから、しばらくは違う生き方を自分のメインに据えることにする。
苦境の中で人々に勇気を与えて戦うために必要な生き方、考え方、ということだ。
犠牲者が出ても粘り強く戦うのを止めない強い姿勢、ということでもある。
もしも僕の心が折れてしまったら、誰もついてこないからだ。
それでは責任は果たせない。

けれども。
一方で僕は「強い生き方」が偉いとも常に必要だとも思わない。
ましてや「優れている」なんて絶対思わない。
人生は一様なものではないし、生き方だってそうだ。
老子的な世界観や人生観、生き方があることを決して忘れないようにしよう。
そして、いつか戦いは終わり、僕も自分の生き方を選べるようになるだろう。
その時にまた生き方のバランスを考え直そう。

『求めない』 加島祥造

『求めない』 加島祥造