風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

冥王星

少し前に、冥王星が惑星から外れることになった、というニュースがあった。
これを聞いて複雑な思いが去来した。

僕は、冥王星以外の惑星は全部見たことがある。

水星は太陽に非常に近いところを回っているのでなかなか見るのが難しく、
太陽から見かけ上離れている時期を狙って日没直後ないしは日の出直前に
西、あるいは東の空低くを探さないと難しい。
望遠鏡で見る水星は、いつも激しい大気の揺れで暴れ回る白い半月様の小さな光だ。

金星は恐ろしく明るく輝く日没後あるいは夜明け前の空の王様だ。
その姿は月のように満ち欠けを繰り返し、大きな望遠鏡を通してみると目が
つぶれそうなほどに真っ白に輝いている。
金星はいつ見ても真っ白で、わずかに明暗があるように思えることもあるが、
あまりに明るすぎるが故の目の錯覚のようだ。
地球からは残念ながらその地表面を見ることはできない。

火星は不思議な赤い天体。
比較的小さな望遠鏡で見ても「大シルチス」と名付けられた三角形の暗い地域
はよく見える。僕も望遠鏡で火星の写真を撮ったりスケッチを描いたりしたこと
はあったけれど、火星はあまりに小さくて詳細な表面の模様は見えにくい。
それでも火星の地形につけられた名前は幻想的で素敵だ。
「アリュンの爪」「キムメリア人の海」「オリンポス山」などなど。

木星は惑星の王者。
その大きさ、貫禄、そして激しく移り変わる雲の模様。
そして四つの大きなガリレオ衛星は双眼鏡ですら易々と見える。
写りはよくないですが、昔、僕が望遠鏡で写した白黒写真がこちらです。

輪のある惑星、土星
誰でも土星の輪を見ると「あっ、見える!」と感動してくれる。
クリーム色の堂々とした本体に美しい作り物のような輪。
輪の傾きは年々変わり、見ていて飽きることがない。
生命の可能性がささやかれる惑星タイタンも望遠鏡でよく見える。

そして天王星
望遠鏡を通してみると小さな小さな丸い青緑の円盤。
何も模様は見えず、本当に小さな惑星という印象。
しかし実際は地球よりずっとずっと大きな極寒の惑星だ。

海王星になると望遠鏡で見つけるのにも熟練がいる。
僕も星図を手に苦労して見つけたことを覚えている。
天王星よりもさらに小さな小さな円盤。
かろうじて青緑色がわかるような気がする?というような微かな光。

そして、今回話題になっている冥王星
理論上は僕の使っている望遠鏡でも見える光度だったけど、見ようと思ったことは
なかった。あまりにも暗く、あまりにも小さく、円盤にすら見えないことがわかり
きっていたから。それに加えて14等星の冥王星を広大な夜空の中で見つけ出し、
同定する困難性!!

さて、今回の「冥王星を惑星の定義から外す」決定については天文学的なこととは
別に社会的な賛否両論があると聞く。実は僕はどんな議論がなされているのかも
よく知らないけれど、かってアマチュア天文家の端くれだった僕自身が思うことを
最後に少し。

僕にとって冥王星は「太陽系の果て」をイメージさせる存在だった。
太陽からの光が届くのに5時間以上もかかる本当の最果ての星。
その冥王星が惑星の定義から外れ「dwarf planet矮小惑星とでも訳すのか?)」
という新しい定義になる。そうすると、惑星としての最果ての星は「海王星」と
いうことになり、僕の「感覚」では太陽系の果てが近くなったように「感じる」
のだ。

天文学者はそれは間違っている、おかしな感覚だ、と言うだろう。
冥王星よりさらに外にはエッジワース・カイパーベルト天体と呼ばれる微小天体
がまばらに分布しており、さらに遠くの彗星の故郷であるオールトの雲につなが
っていてそれこそが本当の「太陽系の果て」なのだ、と。
でもね、そういう理屈じゃないと思うんですよ、僕は(笑)

それから、もう一つ、僕にとって面白くないところ。
それは、冥王星は岩石と氷の地表を持った「人が立てる最果ての惑星」だけれど
海王星はメタンと水素のガス惑星で人は地表に立てない、という事実。
ラリイ・ニーヴンに「待ちぼうけ」という冥王星の地表での出来事を描いた傑作
短編があるけれど、これは冥王星だからこそ成立する話なのだ。

天文学が社会に繋がっているとしたら、こういう部分でこそ、じゃないだろうか。
人々が、僕と同様に太陽系が「小さくなった」「最果ての星がなくなった」と
捉えるさせることはいいことなんだろうか?

僕たちのイメージできる「最果て」は少しでも遠くであって欲しいのです。
そして、僕たちに想像させて欲しいのです。
冥王星の地上から見た太陽はもはや円盤状に見えない明るい星の一つであることを。
そこから見たら、地球は太陽のごく近くにある、ちょうど地球から見る水星のような
ちっぽけな存在であることを。

衛星と呼ぶには大きすぎるカロン(冥府の川の渡し守)を従えたプルート(冥界の王)
を名前に頂いたこの星を、「最果ての惑星」のままにしておいて欲しかった、という
のが僕の思いです。