風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

春の日は過ぎゆく

八月のクリスマス」のホ・ジノ監督の作品、ということでこのDVDを見た。
ほんとうに久しぶりに見る恋愛映画だったけれど感じるものがいろいろあった。
見た後、ネットのあちこちに書かれているレビューを読んだけれども、僕のような
感想は見あたらなかったので、感じたことを書き留めておきたい。

冬、録音技師の青年サンウ(ユ・ジテ)と、ラジオ局のDJ兼プロデューサーのウンス
(イ・ヨンエ)は、番組制作のための取材で初めて出会う。年上で離婚経験のある
ウンスは、サンウを自分のアパートへと誘い、二人は恋におちる。
だが夏を迎える頃、サンウはウンスに、父親に会ってほしいと話す。
ウンスは会話をはぐらかし、それを機に2人の心は少しずつすれ違っていく。

主人公のサンウは純情で家族を大切にしている青年。対するウンスは自由奔放さ
をもったキャリアウーマンとして描かれる。ウンスは年上ということもあり、年下
のサンウを積極的に恋に引き込むが、次第に彼の一途さや情熱から距離を置くよう
になり、一方的に別れを切り出す。
純情故に苦悩するサンウ。一方のウンスはサンウをあしらいつつ、言い寄ってきた
音楽プロデューサーとも軽い関係に踏み込んでゆく。

最終的にサンウは繰り返し訪れる未練と苦悩に負けず、自らの意志の力でウンスへの
思いを断ち切る。ラストシーンで再会したウンスがサンウに「今日は一日一緒にいら
れるわよ」と再び誘いともとれる言葉をかけたとき、いったんは受け取った鉢植えを
そっとウンスに返し、手を振って歩み去る。
彼は自分の意志でこの「春の日」に終止符をうつことを選んだのだ。

一方で平行して描かれるのがサンウの祖母の話。
彼女は愛する夫が愛人と出奔し既に死んでいることをどうしても受け入れられず
痴呆になった今、夫が今日こそ帰ってくると信じて毎日駅で待ち続ける。
彼女の心はあの「春の日」をそのままに凍結し、どうしてもそこから動けない。
「春の日」が終わり、愛する夫は去ったという現実を受け入れられないのだ。

恋愛は等しく人間に幸福な「春の日」をもたらす。
しかし、哀しいことに、ほとんどの場合、それは「過ぎゆく」ものなのだ。
その時、人はどのようにその事実に相対し、生きればよいのか?

サンウの祖母の人生も一つのあり方だ。
周囲からは、彼女は現実を受け入れられない哀れな女に見えるかもしれない。
しかし、最後に彼女は薄紅のとっておきのチマチョゴリを着て、彼女の心の中に
生き続ける若き日の(自分を愛してくれていた)夫に再会するために出かけて、
そして死んでしまう。最後まで現実を直視することなく、心の中のたったひとつ
の「春の日」に固執した人生がここにある。

主人公サンウの生き方は、終わりゆく「春の日」を正面から受け止め、自らの
意志の力でそれと決別して、ウンスのいない新しい世界へ歩み去ることだった。
最後のシーン、一面のススキの野原で風の渡る音を録音しながら彼の顔に浮かぶ
満面の笑みは、彼がすでに新しい世界に歩み去ったことを暗示している。
彼は、いつかまた、他の誰かとの「春の日」に出会うことだろう。

ウンスの生き方もまた、一つの答を示しているのかもしれない。
見た人の感想として「悪女」だとか「裏切り者」だとか書かれていたけれども、
僕は、ウンスはごくごく普通の現代女性だと思う。
わざとサンウを試すようなことを言ってみたり、我が儘をぶつけてみたり、気まま
に別れた後でも呼び出そうとしてみたり、気持ちが他の男になびいたり、、そんな
程度で「悪女」なんて言われていたら、世の中、悪女だらけじゃありませんか(笑)
ウンスとは住む世界や人生観が違うサンウの純粋無垢な気持ちとその重い現実に
つきあいかねるのも、僕には重々理解できる。
恐らくウンスはウンスなりのサンウのような決然としたやり方でなく、さりとて
サンウの祖母のように現実から100%目を背けるでもない、ある種曖昧な形で
現実を生き、自分の次の「春の日」を探すのだろう。

その誰もに対して、ホ・ジノ監督は暖かいまなざしを注いでいる。
どれが正しく、どれが間違っていて、誰が悪く、誰が正しい、などと決して声高に
主張しない。
それは、見た人の人生観や生き方に任されていると言ってよい。
ただ、正しい・間違っているは別として、サンウとサンウの祖母の人生がどちらか
というと「美しく」描かれていることは否定できない。
では、この差はいったい何なのだろう?
そして、ホ・ジノ監督はこの差を監督の単なる「趣味(好き嫌い)」として提示
したのか、それとも「自分の哲学」として提示したのか、どちらだろう?

自分なりの答を見つけたとき、ひとは自らの恋愛観に気づくことになる。
映画を見て何かを語ることは、自分の人生観に気づき、語ることと同義だ。
よい映画は、人の人生観を否応なく引き出し、思考を活性化させる多義性やポリ
フォニックさを必ず持っているものだと思う。
この映画は、なかなかよい映画だと思った。

# 映像も音楽(BGMは極めて禁欲的に使用され殆どのシーンが静寂の中で進む)
  も大変美しく素晴らしいです。
  「八月のクリスマス」については以前、こちらで記事を書きましたので宜しけ
  ればご一読下さい。

春の日は過ぎゆく [DVD]

春の日は過ぎゆく [DVD]