風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

身体と心

ずっと週一回、アスレチックジムに通っている。
ストレッチをして、10分ほどウォーキング。それから筋トレをして、クロス
トレーナーというマシンで有酸素運動をして最初から最後までだいたい2時間だ。
最初はどちらかというと義務感で行きはじめたのだけれど、最近は週に一度は
行かないと落ち着かなくなってきた。

ジム通いを始めたきっかけは、仕事をしていて「体力不足!」と痛感するような
ことが何回かあったからだ。
僕の仕事は肉体を激しく使う仕事ではないのだけれど、たとえ頭を使う仕事で
あっても、最後の粘り強さとか一押しとかそういう部分は「気力」にかかって
くる。気力というのは実のところ体力とリンクしている部分が多く、体力が
切れているのに気力充実ということはあり得ない。
ぶっちゃけて言うと、僕の仕事における個の人間の力は最終的には「気力・根性」
で決まることが多いのだが、このどちらもが生体エネルギー量(つまり体力)に
拠っており、その体力を増やすことは全ての改善につながる。
そう考えて僕は体力をもっと充実させたい、とジム通いを始めたのだ。

通い初めて「運動するととても気分がすっきりする」という事実を久しぶりに
思い出すことになった。
「無心」というのではないけれども、「無心」に近い感じだろうか。
気になることや心配なことは運動している間も心をよぎることがあるけれども、
心の中でさほど深刻な感じで取り扱われない。逆に、汗をかいている間に、
そのことについて結構冷静に考えることができることもある。
また、心配事がだんだん心の片隅に追いやられていって、筋肉の痛みと必死で
体を動かすことのほうに夢中になっていくこともある。
そうやって、2時間も運動すると気分が思いのほかすっきりするのだ。

体を動かすことは体だけで完結するものではなく、心とも密接に繋がっている
のですね。
それに気づいてからは、心が閉塞しているときは、たとえジムに行かなくても
自転車に乗ったり近所に歩きに出たりするようになった。
僕にとっては身体を動かすことが最上の気分転換であるらしい。

人間は大きな氷山のようなもので、水面から上に出ているわずかな部分が
「意識している自我」であるわけだが、海面下の意識していない心の領域
が身体と密接な関係を持っていて、気圧や温度や湿度や周りの音・匂いと
いった自然環境から影響を受けた身体はその領域に大きな影響を与え、人の
気分や感情を刺激し規定する。
結局、人間というのは心と同じくらい身体に縛られている存在なのですね。

身体を馬鹿にしてはいけない。
当たり前のことだけれど、改めて僕は痛感している。