風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

非協力的な人々

今、ある本を読んでいてそれがとても面白い。
お正月に実家に行った時に母の本棚で見つけて立ち読みしたところ、あまりに
面白いので一昨日書店で改めて買ったものだ。いずれこの本の内容については、
きちんと理解・整理した上で改めて紹介したいと思うけれど、その中の一節に
面白い内容があったので、今日はその部分に限って取り上げてみたいと思う。

社会のいろいろな局面で、人は他者と協力したり協力しなかったりするわけ
だけれども、その時、他者と協力しようという方向性を積極的に持つ人間
(これを協力的な人間と呼ぶ)と非協力的な人間がいる。この二つのタイプ
の人間にはいろいろな側面で違った傾向があることが最近の心理学の研究で
はっきりしてきた(ケリーとスタヘルスキーの研究など)。

一般に他者に対して非協力的な人々は:
・他者も自分と同様に非協力的な行動を取りやすいだろうと考える傾向がある。
 つまり、他者もどうせ自分のことだけを考えている利己主義者たちに違いない
と考える傾向が強い。
・人間が他人に対して持つ印象は「評価(良い悪い)・力(強い弱い)・活動
(活動的か不活発か)」の三要素に分けられるが、非協力的な人は力の次元
で行動を判断して協力的な行動を取る人は弱い(腰抜け)と判定する傾向が
強い。逆に協力的な人間は評価の次元で判断する(つまり道徳的に良い人
だから他者に協力していると判断する)

非協力的な人達のこのような性格は「権威主義的パーソナリティー」の一つの
側面と考えられる。「権威主義的パーソナリティー」とは、幼年期に親から
無条件に愛された経験が不足していることに起因する根深い不安感や無力感
を持った性格のことで、他者を信頼することが困難で自分を「力を持った権威」
と一体化し、人間関係を支配・服従という「力の論理」で見ようとする傾向
がある。従って社会的な問題においても、こういうパーソナリティの人達には
協力することで皆が良くなるより、たとえ全体が悪くなっても他人よりも
自分のほうが相対的に良くなるような(上位に立てるような)状態を求めて
行動する傾向がある、というのだ。

僕が面白いなぁと思ったのは、巷でよく性善説性悪説などというけれども、
今の社会心理学ではごく当たり前に人間は性善でも性悪でもなく基本的に
パーソナリティの違いがあり、それを前提として社会的問題を解かなくては
ならないというスタンスに立っていることだ。
つまり、「権威主義的パーソナリティ」は怪しからんから性格を矯正しろ!
とか間違っているから考え方を変えさせろ!という話ではないわけです。
これは、ある意味で非常にリーズナブルで現実的な方向性だと思う。

同時に、誰もが自分と同じように感じたり物を考えるはず、といった感覚
(錯覚)を持ちすぎるのも危うい、という認識を新たにした。
人は人であるという点では確かに同じではあるけれども、異なったパーソナ
リティを持つ多様性のある存在なのだ。
そういう認識を持つと社会的問題の解決策の提示はますます困難になるの
だけれど、決して単純化するべきではない重要なファクターだと思う。