風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

春のありか

宋代の詩人戴益の詩です。

探春

尽日尋春不見春
杖黎踏破幾重雲
帰来試把梅梢看
春在枝頭已十分

この詩の口語訳は、次の通りです。

一日中、春を尋ねて歩いたが、春は見つからなかった。
あかざの杖をついて幾重にも重なる雲を見ながら歩きつくした。
ところが、家に帰って試みに梅の梢を手にとって見たら、
春は枝頭に在って已に十分であった。

「春」は「幸福」の象徴です。
メーテルリンクの「青い鳥」などと同じく幸福というものの本質を物語っている詩だと
思います。

人類が意識を持つようになってから数百億人が地球上で生を全うしただろう。その中で
このような言葉のもつ意味を『頭で理解』ではなく『心底から納得』した人はいったい
どのくらいの割合なのでしょう?
半分?1/3?
いや、近現代に限って言えばもっと少ないのかもしれないとも思います。
理解することと、納得することは全然違うことだから。

心底から「本当にこの通りだ。だから自分は幸せなのだ」と納得できた人こそ「幸せ」
なのだろうと思います。