旅のお菓子
けさ、バスが松林を通るときに見えた藍色の空。
「この空の色、見たことがある」
記憶をさぐると「大きな錦蛇」が出てきた。あの大きな蛇を見る前に、
見上げた空と同じ色。
思いだした。
去年行ったオーストラリアのゴールドコースト山中で見上げた空の色だ。
そこから僕の連想は「記憶」→「プルースト的」と流れてゆきました(笑)
それで、今日は佐伯誠さん、という人が書いている「旅のお菓子」という
エッセイについて書きます。
このエッセイ、全日空の機内誌に連載されています。
僕は仕事で全日空を使うことが多いのだけど、このエッセイを読むのが
楽しみで、最近は機内誌を持ち帰るようになりました。
(佐伯さんの単行本は出ていないようなので)
エッセイの旅もの、というとあるパターンが確立されているように思う
のだけれど、佐伯さんの文章はそのどれとも共通項がないように感じる。
旅で訪れた場所のこと、そこで起きたことというよりも、「旅」そのもの
について、それもプルースト的な記憶のつながりから想起される、一瞬の
ふわりと浮き上がるしゃぼん玉のような思いを書きとめているように感じ
るのです。
少し抜き書きしてみます。
ブルターニュの、庭にリンゴの木が植わっている家で過ごした、たった7日
のこと。老いてから、揺り椅子に座ってなんども思いだしてなつかしがるだ
ろう、7日だけの家族のこと。みんなで牡蠣ををナイフでこじあけて、夕餉のしたくをしているときの、
クスクス笑い。茹でたアーティーチョークを、一人一人が裂いているときの、
外の風の音が聞こえてきそうな沈黙。ひそやかなことが、しあわせのなによりの証であるような、鄙びたバカンス。
そこにあったのは、大きすぎもしない、手狭ということもない、がっしりと
した木のテーブルだった。ナイフやフォークや皿ばかりでなく、団欒をのせ
るのにふさわしい寸法。することといったら、みんなで出かけるそぞろ歩き。ひろびろとした平原を
ぬけて、ヒューヒュー風のふきすさぶ岬のほうへ、ばらばらになりながらも
離れずに、のんびり歩いていく。そんな不ぞろいな一列にいることの、いい
ようのないしあわせ。
もう一つ、抜き書きしてみます。
その土地に行きたいと思うきっかけは、ほんとうに偶発的なものでしかない。
コリーヌ・カンタンというフランスの女性がチュニジアのシディ・ブ・サイド
という小さな街について書いた文章がそうだ。パリでどうしても、ギュスタフ・モロー美術館へ行きたい、と思った。アラン・
コルノーの暗黒映画で、主役のイヴ・モンタンがそこを訪れたからだった。
およそ、美術館というものへ行かないくせに。ナン・ゴールディンのナポリで撮影した写真集を見たとき、自分はナポリで
なにも見なかったということを痛覚した。旅をしていないときは、そんなふう
にしてレッスンしておくべきだ、感受性の。
佐伯さんのイラストをご紹介できないのは残念なのですが、なんとも暖かみの
ある素敵なイラストです(アンテナさせて頂いている、ふらここさんのイラスト
にも共通するものがあるように思うのですが(笑))
僕自身、それほど旅行好きなほうではないのだろうけれど、佐伯さんのエッセイ
を読むと、ああ、いいなぁ。旅に行きたいなぁ、と思いますね。
このエッセイ、単行本になったらいいのに。