風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

坂の上の雲

司馬遼太郎の「坂の上の雲」。
今までも何回も読んでいるが、何度読んでも面白い小説だ。知らない方の
為に簡単に説明すると、この小説は主として日露戦争の話でその頃の日本
の置かれた歴史的な背景を横糸に、陸軍の秋山好古、海軍の秋山真之
いう二人の兄弟の生き様を縦糸として描いた小説である。
小説ではあるが厳密な考証がなされているようだ。

歴史的背景は非常に興味深く、日露戦争は脆弱な国力の日本がロシアの脅威
に対して精一杯背伸びをして行った祖国防衛戦争、という見方をしている。
これはいまや日本史のスタンダードな見方になりつつあるのでは?と思うの
だけれど、この小説がこの見方の普及に大きな役割を果たしたことは間違い
ないだろう。細部に関しても、たとえば、乃木稀典の人物像(リーダー失格)
児玉源太郎大山巌の人物像、203高地攻略をめぐる内情、バルチック艦隊
を迎えての日本海海戦での歴史的転回など、時間を忘れて読みふけってしまう。

さて、僕にとって興味深いのは登場人物たちの思考方法だ。
秋山好古の言葉に「俺は単純であろうとしている」というのがある。
僕はこの言葉が非常に気に入っている。単純な頭脳を持ってる僕自身にぴっ
たりだから、というのもその理由だがそれ以上に「何かをなすための方法論」
として最上だと思うからだ。
世の事象というのは本当に複雑であり、物事というのは複雑に考えようと
思ったらいくらでも複雑に考えられる。「複雑さをあるがままに受け止める」
ということは基本だと思うのだけれど、さて何事かを決断する、という時は
そうはいかない。本質を見抜くこと、単純に考えることをしない限り、決断
も行動もできない。

秋山真之の方法論も面白い。
日本で初めて海軍戦術をうち立てたこの人物がしたことは「古今東西の軍書
を読みあさり、要点を抽出し、自分の中で組み立てなおす」ことだと言う。
真の独創的天才ならば、過去の前例など調べることなく直感的ひらめきで
新しい戦略、戦術をうち立てうるのだろうが、そんな人間は歴史の中でも
ごく一握りなのだろう。若干37歳で海軍の全作戦を立案し、世界史上希な
完勝を治めた「稀代の天才作戦家」は、実は「秀才型努力家」だったのだ。

さて、司馬遼太郎、という作家は、誰にとっても読みやすい面白い小説を
書く作家であると同時に、鳥瞰的な視野で「日本は、社会はどうあるべきか」
ということを、正攻法で考え続けた思想家であることは間違いない。
愚直なまでに史実と自分の目と観察、経験(特に第二次世界大戦中の)を
頼りに、自分の頭でこつこつとまっすぐに考え続けた人だ、と思う。
こういう思想は、借り物思想のパッチワーク細工と違って強靭だ。
硬直したイデオロギー的視点以外からは批判が出にくいのも頷ける。

司馬遼太郎の言葉には「いいな」と思う言葉がたくさんあるけれども、
この言葉をあげて記事の結びにします。
彼の思想の立脚点がよくわかる一言だと思う。

 すぐれた人間というのは、金儲けができる人ではありません。
 よく働くことも結構ですが、そういうことでもない。
 やはり魂のきれいな人ですね。

新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)

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