風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

英語と思考(2)

よく言われることだけれど、英語では論理的で内容のはっきりした文章
を組み立てることが日本語よりも易しい。というか、否応なくそういう
文章になってしまう、という感じがある。
これは明らかに言語の構造に由来している。

日本語の場合は主語があったりなかったり、そして述語動詞は文の最後
近くにくることが多い。その前にいろいろな形容詞やら副詞やらが、
ずらずらと続く。読んでいる人、聞いている人は、文の最後に至らない
と、文章が、肯定している文なのか、否定している文なのか、わからない
のだ。

反対に英語の場合、主語のすぐ後に述語動詞がくることが多い。
『誰が』『何をした(する)』のか、あるいは『しない』のかが、まず
明示される。この言語としての構造が人間の思考のほうにも影響を及ぼ
すことは当然だと思う。

この曖昧な日本語を明確に、より論理構造がはっきりわかりやすく書く
工夫はいろいろとなされている。これまで読んだ本で僕が感心したのは
こちらだろうか。具体的で納得できる工夫が多数挙げられていて感心
した。(例文に政治色が感じられ面白いですが、書いている内容は純粋
に、文章を書くための技術の本です)

日本語の作文技術 (朝日文庫)

日本語の作文技術 (朝日文庫)

文章というのは、論理的に明確に書くのが全てではなくて、日本語の
構造をそのまま生かして、のたくるように意味が不明確なままに綴って
いく、というスタイルもあり、それで味がある素晴らしい文章もあるの
だけれど、僕にはそんな味を醸し出せるような才能も感性もないので、
人様の目に触れる文章は、極力意味を明瞭に書くように努力している。

そういえば日記でも、男性の書く日記と女性の書く日記では意味と表現
の明瞭さという点では、違いを感じることが多々あって興味深い。
女性は、どちらかというと、誰について書いているのか、何について
書いているか、わざとぼかすのが好きなようだ。
読者に気を持たせたり、想像させるのが好きなのかな?(笑)
これもまた「女らしさ」なのだろうか。

やや、英語という言語の論理性について書くつもりでいつの間にか
話題がどんどんズレてしまいました。
たいへん失礼しました。