風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

心の姿勢

クリスマスのイルミネーションがいよいよ華やかになってきた。
去年の今頃、僕の気持ちは穏やかとは言い難く、イルミネーション
を見ても浮き立った気持ちにはならなかったものだった。
しかし、今年は違う。
ああ、綺麗だな、と素直に思える。
それが、何より嬉しい。

僕は人の善意を信じて生きたいと願い、いつも心がそういう方向に向く
ようにしたいと思っている。何事も良いように取ろう、何事も前向きに
受け取ろう、と常に意識しているつもりだ。
でも、凡人なので、心の中にいろいろな邪推やら疑念やら、くだらない
考えがわき上がってくることもある。それでも今のように元気な時は、
そういうものにうち勝てるものが心の中にあって、くだらない考えは
すぐに下火になるのだが、心のどこかに問題があると、それが難しく
ぶすぶすといつまでも燻り続けるのだ。

「くだらない考え」がいつも間違っているわけではなく、それが実は正
しいことだってある。しかし、問題は「結果的に正しい・間違っていた」
ではなくて基本的な「心の姿勢」なのだ。
「心の姿勢」だけは、いつも正しくありたい。
たとえ、それで時々、結果的にひどい目にあうとしても。
周りをおずおず見回して結果オーライ、は僕の生き方ではない。

心の姿勢、という点ではシモーヌ・ヴェイユという女性思想家の言葉は
琴線に触れるものがあって、時々読み返す。彼女の思想は宗教的色彩が
強く極度に難解で、到底僕の理解できるところではないのだが、内容
はわからなくても、彼女の言葉は何かを僕に与えてくれる。
正しい「心の姿勢」を指し示す何か、を。

「純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である。」

「純粋に愛することは、へだたりへの同意である。
 自分と、愛するものとのあいだにあるへだたりを何より尊重する
 ことである。」

「苦痛や極度の疲労がこうじて、たましいの中にこれは果てしなく
 続くのではないかとの感じが生じるまでになったとき、その果て
 しなさを素直に受け入れ、愛しつつ、それをじっと見つめつづける、
 ならば人は、この世からもぎ離されて、永遠にいたる。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「重力と恩寵」より

「人間が神の方へ向かっていくのではない。神が人間の方へ来て 
 くださるのである。人間はただ、じっと見つめ、待ちのぞむだけ
 しかない。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「ノート」より

僕は自分が再び、人の善意を、暖かい心を、つながりを、信じることが
できる人間に立ち戻ることができた、と実感している。
これからも、そんな自分でありつづけたい、と思っています。

重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)

重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫)