風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

猫を投げた話

子供のころの話だ。
当時の僕の家のすぐ下の一家が猫を飼っていた。
猫の名前は「フクちゃん」と言った。
まだ若い雌の猫だった。

フクちゃんは最初は胡散臭げに、僕たち一家を遠巻きに眺めていたが、
そのうち、だんだんなついてきた。
僕もエサこそあげなかったものの(下の家の飼い猫なので)、ニャー
ニャー言って近づいてきたら、喉を撫でてあげたり、抱き上げて頭を撫
でてあげたりしていた。
僕は、動物が決して嫌いではない。
僕たちは、仲良しになった。

ある夏の日のことだった。
僕は家の前のコンクリートの壁に野球のボールをぶつけて遊んでいた。
その時、フクちゃんがいつものように僕のところへやってきて鳴いた。
僕はしばらく撫でて遊んでいたが、そのうちそれに飽きてまたボールを
壁にぶつけ始めた。ところがフクちゃんが足元から離れない。
僕はだんだん、イライラし始めた。
「もうあっちへ行けよ!こら!危ないぞ!」と叱っても、フクちゃんは
ニャーニャー言いながら足元に寄ってくる。

突然、僕の中で抑えようのない凶暴な怒りが沸き上がった。
僕は、いきなりフクちゃんを掴んで放り投げた。
フクちゃんは4〜5m飛んで、離れた草むらに落ちた。
落ちた途端、フクちゃんは「ギャッ」と鳴いてすっ飛んで逃げた。

僕はしばし唖然とした。
自分の中にこんな凶暴な暴力的な衝動があったなんて。
僕は、自分のやったことにショックは受け、うろたえていた。
普段の僕は、猫をいじめたりするような子供では決してなかった。
だいたい、僕はフクちゃんと仲良しだったし、大好きだったのだ。
それなのに。。。

フクちゃんはこの体験を決して忘れなかった。
それっきり僕にはまったく近寄らなくなり、僕の姿を見るなりすっ飛ん
で逃げた。それどころか、ずっと後になって僕が結婚した後、一時的に、
この古い家に入居した時も、もう目が見えなくなった老齢のフクちゃん
は、決して僕にだけは近づかなかった。(僕の奥さんには、とてもよく
なついたのに)

ごく普通の人間の中にも、どす黒い凶暴な暴力衝動がある。
これが、僕が自分の中に潜む「邪悪な暴力への衝動」を自覚的に感じた
初めての体験だったと思う。

それから、成長するにつれ、僕は、暴力への衝動は誰にでもあること、
戦争やパニックの時はもちろん、日常生活でも時と場合によって突如
噴出すること、そして「あんな人がそんなひどいことをするなんて!」
とか「まともな人間ならそんなことが出来るわけない」などと、したり
顔で言う人たちは、まるきり人間がわかっていない無知な人か、そう
でなければ、知らないフリをしている偽善者だ、ということを知った。

暴力を含む邪悪な欲望・衝動は、性欲と同様、あまねく人の中に偏在する。
本能にしっかりと組み込まれているものであれば、人はそれを否定した
り、やみくもに無視したりするのではなく、それが誰にも存在することを
認めた上でどうやったら上手に制御できるか、その具体的な方法を考えな
くてはならない。
なにせ、歴史が示すように、性善説や、精神論に頼るようなひ弱な方法
では、この衝動は到底制御できはしないのだから。