風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

結婚披露宴で思ったこと

昨日は部下の結婚披露宴に出席。
社内結婚なので会社の人間が多数参列し、僕は乾杯の音頭を取った。
もっとも部下といっても新郎新婦ともこれまでほとんど口をきいたことの
ない部下で、遠い別世界の出来事感がある。
披露宴に出るたびに、部下一人ひとりに両親や親族がいて、それぞれに
かけがえのない人生と歴史があり、必死でプライドを持って生きてきており、
かつ、これからも必死で生きていくのであろう、という事実の重さを感じる。

僕は、彼らを処遇し、配置し(場合によっては世界の果ての土地に)場合に
よっては処分し、出向を命じる立場にあるわけで、ひとりひとりの会社以外
のリアルな生を詳しく知ることが本当に良い(=効率的)かどうかについては
疑問がないわけではない。
以前も書いたと思うが、前サッカー日本代表監督の岡田武史氏は「自分は選手
とは食事に行ったり飲みに行ったりしない。そうしないと彼らを切るべき時に
切る勇気が出なくなってしまう。自分はそれほど強い人間ではない」と言い
切っていたが同感する部分があった。
しかし一方で「いや、そういうリアルな個々の生、生き様、歴史を引き受けた
上で決断を下すことこそが、リーダーとしてあるべき姿なのではないか?」とも
思う。それこそが、僕が引き受けるべき重さなのではないか?とも思うのだ。

今の経営陣の中で、僕は際立ってドライかつ合理的な人間だと思う。
合理的、というのは業績を良くし、組織を改革するにあたって個の痛みを無視
して最適な手段を実行できる非情さと無神経さがある、ということだ。
かって日産のエースと呼ばれた(部下に対して情に厚い)塙社長が出来なかった
非情な改革・決断をルノーからやってきたカルロス・ゴーンはいともあっさりと
やってのけた。そして、僕が役員に選任されたひとつの理由は、20年以上懸案
となっていたある事業部に対して大なたを振るって分割・独立採算化し業績改善
したからだが、その過程では多くの人のプライドが傷つき、涙を流したのだ。
僕は根本的にマネジメントや経営に向いていない人間と認識しているが、唯一、
他人が真似しがたいポイントがあるとすれば、その非情さ、無神経さと部下に
嫌われる覚悟を併せ持っているというポイントだろう。

そんな人間は、いよいよ会社が立ちいかなくなって、危ない状況に陥るまで
前に出ていかないほうが良い、と自分でつくづく思う。
僕の会社は全体としてはまだまだ余裕があるし、どれほど非効率的でぬるま湯に
浸かっているとしても、多くの人々がプライドを傷つけられ、慟哭し、血を流さ
なくてはならないような手段を、今、敢えて取る必要はない。
そんな手段は、たかだか業績を良くする程度のためには取ってはならないのだ。
もしかすると、会社はすでに「ゆでガエル」になりつつあり、遅きに失する不安
はあるとしても。

これから先、二度と僕の出番が来ないことを祈っている。
一方で、万が一の危機が訪れた時に、どのような大なたを振るうべきか、自分一人
で密かに研究しておこう。
そう、万が一、のために。