風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「ふしぎな岬の物語」そして「蜩ノ記」

アメリカからの帰りの飛行機の中で二本邦画を見た。
一本は「ふしぎな岬の物語」、もう一本は「蜩ノ記」。

「ふしぎな岬の物語」は吉永小百合が企画・主演した映画でモントリオール
世界映画祭で審査員特別賞グランプリを受賞したという作品。
岬の先端にある小さなカフェの店主・悦子(吉永小百合)とそこに集う客達
との何気ない愛情あふれる日々の物語なのだが、悦子は誰にも慕われ、景色は
美しく集う人々は皆、善人ばかり。
癒やし映画と言えばそうなのだが、その安定した静かで幸せな日々は、常連客
たちの死や異動、そして悦子をずっと慕っていた甥の浩司が見せた瞬間的な
恋の炎などによって、その安定を失ってゆく。
結果、悦子のカフェは火事によって失われる。
この「限定的な泡のような幸せな時間のバランスの失い方」が癒やし以外の
この映画の大切な要素と思ったのだが、ここの部分については火事の後の
悦子の長い独白によって表現されていたものの、もう少し違うやり方もあった
のでは、とも思ってしまった。特にその後、いかにもありがちな「村の人達の
協力で新しいカフェが再建され悦子の新しい日々が始まる」というオチになって
いるのでなおさらだ。
ともかく、現実の世界でも「夢のような、安定しているように見える幸せ」
は、実は微妙なバランスによって支えられており、それはバランスが僅かに
変わると、実に儚く脆く、泡のように消え去るものだ、という事実をこの
映画は僕に改めて想起させてくれた。

蜩ノ記」は既に小説は読んでいた。
映画は細部までよく作りこまれていて、景色も美しく、登場人物の所作も
美しい。完璧とはいえないまでも、時代劇として大変高い完成度にあると
思ったが、正直なところ、この物語を2時間ほどの映画に詰め込むのは
難しかったのだろうな、というのが率直な感想である。
ただひとつ、印象に残った部分がある。
主人公・秋谷に若き日にごく淡い想いを持った女性・松吟尼(出家して尼に
なっている)が秋谷の娘・薫に「縁(えにし)」について語る部分。
松吟尼は「秋谷さまとは人の縁を感じました」と言い「人の縁とは何ですか?」
と問う薫に対して、松吟尼はこう答える
「この世にはたくさんの人がいるけれど、縁のある方は一部です。縁のある方
とは、自分が生きる上での支えとなる方です」と。そして「その人が同じ空を
眺めていると思うだけで、生きる力になる。」という言葉が続く。
とても素敵な言葉だと思い、正直感動した。

追記:飛行機の中ということで、映画には英語の字幕がついていた。
   そこでは「縁」が「fate」という単語で表されていた。
   fateというと宿命とか運命で、縁というとbondではないのか?と思った
   が、考えてみるとbondでは「縁」が持つ「宿命的な絆」というニュアンス
   が出ないのだろう。勉強になった。

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