風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

村上春樹「女のいない男たち」(3)「独立器官」

今日は第三話の「独立器官」
52歳の独身医師の渡会は、結婚して家庭を持つことは望まず、女性たちと
軽い関係を持ち続けることをモットーとして生きていた。ミラン・クンデラ
「存在の耐えられない軽さ」の主人公トマーシュ医師と通じるもののある
キャラクターだ。

渡会は女性たちにとって常に気楽な「ナンバー2の恋人」であり、
便利な「雨天用ボーイフレンド」であり、あるいはまた手頃な
「浮気の相手」だった。
そして実を言えばそのような関係こそが渡会が最も得意とし、
最も心地よくなれる女性とのかかわり方だった。
それ以外の、たとえばパートナーとしての責任分担が何らかの
形で求められるような男女関係は、常に渡会を落ち着きの悪い
気持ちにさせた。


そんな渡会がある日、人妻相手に本気の恋に落ちてしまう。
ここで、渡会が「僕」に話す内容がとても面白い。
「本気で恋するということはどういう状況に陥ることか」が村上春樹の言葉
で、渡会の口を借りて詳述されるからだ。そして渡会はこの真剣な恋を通して
「自分はいったいなにものだろうか」という(実に!)哲学的な問いに至る
ことになる。渡会は、生きるとはどういうことか、という(これまで慎重に
避けてきた)実存としての問いに向かい合わざるを得なくなったのだ。
ここで渡会が引くアウシュビッツ収容所の話のくだりも僕には大変面白く
読めた。

しかし、渡会はこの人妻に裏切られ(裏に別の恋人がいた上に体よく利用
されて金まで取られた)、その結果、恋患いで餓死して死んでしまう。
ある意味では(どうしようもない浮気男であったかもしれないが)渡会は
純粋な人間だったのだと強く印象づけられる。
渡会の秘書の青年は最後にひとつ、これも実に本質的な言葉を残して去る。

「谷村さん、厚かましいようですが、ひとつ僕からお願いがあります。
どうか渡会先生のことをいつまでも覚えていてあげて下さい。
先生はどこまでも純真な心を持った方でした。
そして僕は思うのですが、僕らが死んだ人に対してできることといえば、
少しでも長くその人のことを記憶しておくくらいです。
でもそれは口で言うほど簡単ではありません。
誰にでもお願いできることではありません。」

最後に余話のようにして語られる渡会の言葉がこの作品のタイトル
になっている。

すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のような
ものが生まれつき具わっている、というのが渡会の個人的意見
だった。どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって
少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘を
つくし、それも大事なことで嘘をつく。大事でないことでも
もちろん嘘をつくけれど、それはそれとして、いちばん大事な
ところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの
女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。
なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手に
おこなっていることだからだ。だからこそ嘘をつくことによって、
彼女たちの美しい良心が傷んだり、彼女たちの安らかな眠りが
損なわれたりするような−特殊な例外を別にすれば−まず起こら
ない。


なるほどね、と僕は思う。
女性はどうしてあんなに嘘を上手につけるのだろうか、と思っていたが
そういうわけだったのか、笑。

女のいない男たち

女のいない男たち