風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

実存が危機にさらされて

次の火曜日に検査のための手術があり、その結果で大きな手術をしないといけないか、
小さな手術で済むかが判る。
大学病院でその診断を聞いた一昨日は相当に落ち込んだ。
食欲は全く失せ、その夜は一睡もできなかった。
考えても仕方ない、なるようにしかならない、と何回自分の心に言い聞かせても、
不安でまったく眠れなかった。

昨日、会社でも朝から不安でいっぱいだった。
仕事に集中する一瞬だけは忘れられるのだが、その一瞬が過ぎ去ると不安が頭の中に
どっとなだれ込んで占領する。
それをなんとかしようと、自分でこんな言葉を手帳に書き付けた。

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自分はいったい何を恐れているのか?
良い方であっても、悪い方であっても、直す方法はあるし、
はっきりしている。
望みがなくなったわけではない。
所与の条件下で最善を尽くすのみである。


自らの心の弱さを痛感する。
この試練(弱さ)は克服すべきものである。

前を向く気持ち、戦う気持ちを持つのだ!
最後まで前を向きつづけるのだ。
世の中にはもっと辛い思いをしている人たちが沢山
いるではないか。

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夕刻になって少し気持ちが落ち着いてきた。
人間の心というのは不思議なものだ。
ショックを受けて落ち込んでも少しずつ回復してくるのだ。
夜、心配した家内が急遽上京してきてくれた。
家内と話していると、ずいぶん気が紛れて不安が減った。
おかげで昨夜はぐっすり眠れた。

病院で告げられてから二日目の今日。
心理的には落ち着いているが、昨日の反動だろうか、うっすらとした
不安のヴェールに覆われた上に、生活が乗っかっている感じだ。
家内という話し相手がいるから不安が軽減されているのだろうと思うが、
人間の心のメカニズムとして、強い不安を一定強度で持ち続けることは
難しいのかもしれない(あるいは僕の心がある程度以上の強度の不安を
を受容し続ける強さを持っていないが故に、自衛メカニズムが働いて
いるのかもしれない)。

ひとつはっきり自覚したことがある。
僕はここのところ、このサイトや日記帳に書くことが無くなってきていた。
それは僕の実存が危機にさらされていなかったからなのだ。
つまり、僕がここに何かを書きたい、と思う時は、自分の実存に問題が起きた
時なのだ。リアルワールドのオープンな問題は、ここに書く必要はなく、
リアルワールドで解決すればよいし、解決するしかない。
ここの意義は、僕の実存の問題、実存の危機を救うことにあるのだ。
改めてそれが判った。