風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「セザンヌ - パリとプロヴァンス -」(国立新美術館)を見て

今回のセザンヌ展は「僕のような初心者には難しかった」というのが率直な印象だ。
いったいどこが難しかったのか?


セザンヌは僕にとってミステリアスな画家である。
美術初心者の僕だが、今まで見たいろいろな画家の中で、セザンヌはとても言語化
しにくいと感じる。セザンヌの絵のいわゆる名作と言われる絵をみると、素晴らしい
ことだけはわかる。しかし「すごい!」「素晴らしい!」とは言えても「どうがどう」
と言えないのである。「言葉にできないものを表現するのが芸術だろう」と言われる
向きもあるかもしれないが、僕はそれでは嫌なのである。
何でも言語化しないと気が済まない「言語化中毒」な僕には気が済まないのだ。


今回の展覧会にははっきりしたコンセプトがある。
以下のようにカタログの最初にドニ・クターニュ氏が書いてある。

これはセザンヌの画業全体を扱った回顧展なのだろうと、考える向き
もあるかもしれない。しかし、本展の主旨は異なる。と言うのも
監修者が目指したのは、パリとプロヴァンスで制作させた作品を
対比させながら、両者の相互関係や対立、および俯瞰的な視点を
打ち出すことである。

残念なことに、セザンヌ初心者に過ぎない僕には、この監修者の意図を汲み取って
楽しむのは無理だったようだ。なるほど、今回の展覧会には非常に多くのセザンヌ
作品が出展されていた。
その中には、一目見て動けなくなるほどの素晴らしい(と僕が思う作品 )、例えば
アンブロワーズ・ヴォラールの肖像」だとか「庭師ヴァリエ」や「りんごとオレンジ」
(なんという素晴らしさ!)だとか、いくつもの「サント=ヴィクトワール山」や
セザンヌ夫人」もあった。
しかし、素人の僕が言うのも何だが、明らかに発展途上、悪く言えば習作だったり、
新しい試みにチャレンジして失敗したりした作品もまた多数展示されている。
美術マニアとは言い難い僕ではあるけれど、傑作じゃないだろう、ということぐらいは
判る。まぁそんなことは当たり前で、モーツァルトにしてもベートーヴェンでも沢山の
習作や傑作とは言えない作品を作曲しているわけであるから、セザンヌの場合、絵といえ
同じであってしかるべきだ。
彼の場合(他の画家もそうなのかもしれないが)、明らかに歳を取ってからのほうが、
やりたいことがきちっと見えてきて(色の扱いにしても構図にしても「こうでなければ
ならない!」というのがはっきりしてくる。ちょうどバッハのフーガのように)素晴ら
しい絵が多くなっている。


結局、僕の場合、セザンヌの若描きの未熟な作品の中から熟達の傑作に繋がる萌芽を
認めたり、パリの同僚たちの刺激を受けて変わってゆく画風を楽しんだりするだけの
鑑賞力を持っていないのだ、と思う。僕がそういうところまで楽しめるようになるには、
もっともっと絵を沢山見て、鑑賞力を上げる必要があるのかもしれない。
音楽を聴き始めたころ、ベートーヴェンの「田園」やシューベルトの「未完成」の
ような傑作に触れ、沢山の曲を聴いて段々に深い部分がわかるようになったように、
もっともっと傑作を見て、楽しみながら鑑賞力を上げたいと思う。
僕は絵の鑑賞初心者なのだし、これは初心者ならではの楽しみ方なのだ。


りんごとオレンジ