風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

インテリ

僕はつまりのところ「インテリ」なんだな、と改めて自覚した。
「インテリ」とは、つまりは「観念的」ということで、自分の中の「観念」と
「実存」が遊離していて、実存部分と観念部分の葛藤に「苦しむ」というのが
その特徴だ。そんなものを遊離させなければいいのに、やたら思念的なものだから、
この観念に実存が束縛され、悩んだり、苦しんだりすることになる。
観念的な本を沢山読んだから「観念的」になったのだろうか。
もっと、実存の要求するままに観念を捨てられたらどんなに楽か、と思うがもう
そうはいかない。他から見ると馬鹿じゃないの?と思うような苦しみ方だ。
でも観念の呪縛から逃れられず、いつも自分が作り上げた観念に引き戻される。
こういうのは立派な病気、というべきなのかもしれない。


そして、インテリだから自分の欲望を開放することが下手だ。
常に観念に縛られている。
そして、開放するときには下手なやりかたでする。
それが問題だ。


犬や猫を見てみよう。
彼らには「観念」はない。
いつだって自らの実存が望むまま生きている。
死ぬときは、僕だって犬猫だって同じだ。
つまり「特に何もなさずに」死ぬだけなのだ。
そこまでわかっていても「インテリ」は犬猫と同じになりたくない。
何故って「実存が望むまま」の『望む』の対象に「自らの観念が命じるように
生きたい」という項目が繰り入れられてしまっているからなのだ(苦笑)。


悟りを開くしかないか?
いや、悟りなんか開きたくない。
何故なら、心の底では、本音では、僕はインテリとして死にたいからだと思う。