風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

内田光子ピアノリサイタル

サントリーホール内田光子ピアノリサイタルに行ってきた。
内田光子は長い間、一度生で聴きたいと思っていたピアニストである。
半年前にチケットを入手し(良く手に入ったものだ)、万全を期して会社を休んで
上京した。
この日のプログラムはモーツァルトの幻想曲K397、シューマンダヴィッド同盟曲集、
そしてシューベルトピアノソナタイ長調D959である。


モーツァルトが始まってしばらくして、なるほど、と思った。
内田は知的なピアニストである。
学究的、と言われることもあるし、理知的、と言われることもあるが、確かにひとつ
ひとつの音を大切にし、音楽を理詰めで構築してゆく。ある音の強さ、音色は事前に
計算され尽くされており、その場の感興で適当に弾かれるものはない。
モーツァルトダヴィッド同盟曲集でその作り込みの丁寧さ、一瞬も隙を見せない
周到さに僕は感じ入った。これは知的であると同時に職人的な技である。
特にソフトペダルを巧みに使って音色を変えてゆくテクニックは見事である。


曲について言えば、モーツァルトの幻想曲もシューマンダヴィッド同盟曲集も、
実のところ、僕の好きな曲ではない。しかし、これらにシューベルトイ長調ソナタ
を並べる内田の意図はなんとなくわかる。つまりどの曲もシューマンの言う対照的な
「フロレスタン(情熱的なもの)」と「オイゼビウス(瞑想的なもの)」を含んでいる
曲ばかりなのだ。しかし、聴き所はわかっていても、好きでない曲にはどうしても
惹きつけられない。特に僕はダヴィッド同盟曲集についてはどうしても好きになれない。
シューマンの曲は「クライスレリアーナ」も「幻想曲」も「交響的練習曲」も、ほとんど
全て好きなのに、ダヴィッドだけは駄目なのだ。
今回も内田光子が秘術の限りを尽くして弾いてくれたのに(素晴らしい演奏だと思う
のに)、やっぱり退屈してしまった。
残念だ。


後半のシューベルトは好きな曲であることもあって、実に楽しめた。
特に、絶望と孤独の第二楽章は内田光子はきっと上手に弾くだろう、と事前に予想
していたのだが、その通り、素晴らしい出来だった。
この楽章を聴いて改めて思ったのだが、内田光子は「意味」を明らかにするためなら
音楽の流れを敢えて切ることをためらわない。この第二楽章など、間の取り方や音の
強弱の感覚はまるで能舞台を見ているようで、斬新かつ新鮮な表現だったと思う。
打って変わって僕が大好きな第四楽章は親密さと豊かさに溢れ、それでいて歌曲
「魔王」を思わせるようなダイナミズムとデモーニッシュな表現もあり実に楽しめた。


アンコールはモーツァルトピアノソナタK330の第二楽章。
親密で美しいモーツァルトに、聴衆は皆、大満足だったと思う。
全体を通して、さすがに日本屈指の、いや世界屈指のピアニストだと実感した。
昔、リヒテルやニコライエワを聴いたときのような体全体が震え出すような感動と
まではいかなかったけれど、大変良い演奏会だった。