風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

これはゲームだ。

先週アップした記事で「心が痛い」という話を書いたが、今日は別の側面を書く。
それは「人や組織を動かす仕事の面白さ」についてだ。
今の僕の仕事のかなりの部分が、社内の人を説得し、社内の仕組みを変え、社内の
組織を動かすことだ。これは思うとおりにならず、憂鬱で鬱陶しいところもあるけれ
ども、容易に「やりがい」と感じることもできる微妙な成分を含んでいる。
それが証拠にマネジメントの人達は皆、これに夢中になって取り組んでいる。
僕は、こういう立場になる前は自分はそういう事柄が嫌でキライで絶対ゴメンだ、と
思っていたのに、今は、結構のめり込んでいる。
「やりがいがある」とまでは思わないが、のめり込んでいることは確かだ。


思うのはこれは「ゲーム」に似ている、ということだ。
僕はPCや携帯のゲームは嫌いでやらないけれど、ああいうゲームにも、一つの町を
作って大きくしたり、一つの国を運営して強国にしたりするようなゲームがあると
聞く。今、僕がやっている仕事は、それに似ている部分がある。
考えてみれば、僕が長く携わってきた「営業」という仕事をそのままPCや携帯で
ゲーム化したものは聞かない。そうすると、マネジメントはよりゲーム的でのめり
込みやすい何かが成分として含まれているのだろう。僕が思うにその成分の一つは
間違いなく「上からの視点と権力」だと思う。
自分が上からの視点(場合によっては神の視点)から権力をふるえるからゲームと
して成立するのだ。「営業」の視点は恐らくは下からの視点から権力者(=顧客)
に奉仕する仕事だから「ゲーム」にしにくいのだろうと思う。


男が一度やりたい仕事はプロ野球チームの監督とオーケストラの指揮者、という話
を聞いた。イングランド・プレミアリーグサッカーの監督、アーセン・ベンゲル
は前サッカー日本代表監督の岡田氏に「代表監督はクレイジー・ジョブだ。しかし
中毒になるんだ」と言っていたそうな。
なるほど。
つまりは「上からの視点で権力をふるえる仕事」は、中毒になるのか。


ふと昔のことを思い出した。
僕がある趣味の会にかかわっていた時、その会の仕組みを変えようと思った。
そして、あれこれしているうちに、なんとなくその中心人物のような立場になって
仕組みをどんどん変えてゆくことになった。
その時、僕は、結構良い気分だったのだ。
いろいろあって、僕はその会を退会したのだが、その後、その会はあっという間
に昔の主力メンバーの手で元の通りの仕組みに戻っていった。
あの時、僕には何も報酬が貰えたわけでもなく、役得でいい思いをしたわけでも
ないが、その「権力(らしきもの)」を振るって上からの視点で人を動かし、
物事を変える「ゲーム」に酔っていたのだろう、と思う。
あの時も、間違いなく、僕は「やりがい」を感じていた。


なるほど、そうなのか。
僕は今、「中毒」になりかかっているのかもしれない。
そうだとしたら、怖いことだ。