風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

フェルメールからのラブレター展

京都まで足を伸ばしてフェルメールに会いに行った。
京都市美術館で開催中の「フェルメールからのラブレター展」である。


京都市美術館の最寄り駅は地下鉄東西線東山駅なのだが、ここから美術館までの数分
の道のりが僕は好きだ。小さな川(まぁ生活排水の流れ込む川ではあるが)沿いを
歩くのだが、川沿いに古い民家が並んでいてとても風情がある。
こういう雰囲気は京都ならではである。


展覧会のほうであるがフェルメール以外にもオランダ風俗画が多数集められていて、
有名なヤン・ステーンやデ・ホーホなどの作品も来ている。ただ全部で43点であるから、
やや小振りな展覧会、と言っていいだろう。
フェルメールは最後の部屋にまとめて置かれていて、そこまでに他の画家の作品を見て
ゆく構成になっている。


オランダ風俗画は印象派の作品同様、日本人には判りやすい絵だと思う。
まず宗教的バックグラウンドの理解の必要があまりなく写実的であるからだ。
ところでオランダ風俗画と言えば「寓意」が語られることが多いのだが、僕自身は
あまり興味がなく、純粋に絵画としての面白さに惹かれる。しかしながら、面白い
とは言ってもフェルメールフェルメール以外には正直なところ大きな差を感じている。
今回もそれを改めて痛感した。たとえば、ヤン・ステーンやデ・ホーホの絵だって単独
で見ればずいぶんと立派な絵だと思う。しかしフェルメールの絵はまるで違うのだ。
いったい何処が違うのだろう?


見ていて思ったのは、フェルメール以外の画家の絵の人物は背景から浮いている感じ
がする、ということ。描かれている人達の表情もどこか作為的で舞台俳優を見ている
ような感じがする。これは各画家がその思いを込めすぎているが故なのだろうか?
対してフェルメールの描く人物は背景に溶け込んでいて作為を感じさせない。
そしてそこには「意志的なもの」はあまりない。
今回の展示会にはレンブラント工房の画家たちの絵も何点があって、さすがにレンブ
ラント門下ならではの内面性の描写を感じたが、レンブラント自身の絵もそうなの
だけれど、描写されている人物には「強い意志や内面」が感じられる。
「強い意志や内面」は背景からの浮き上がりを生む。
フェルメールの描く人物との大きな違いである。


さて今回来ているフェルメールは三点である。


手紙を書く女(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)


手紙を書く女と召使い(アイルランド・ナショナル・ギャラリー)


手紙を読む青衣の女(アムステルダム国立美術館
 


どれも素晴らしい絵なのだけれど、僕はこの三点の中では「手紙を書く女と召使い」
が一番気に入った(もっとも展覧会のメインは修復が成った「手紙を読む青衣の女」
のようであるが)。この絵は普段はアイルランドのダブリンにあって、なかなかお目に
かかるチャンスのない絵である。さて、これで僕が見たフェルメールは15枚になった。
まだ20枚以上、見ていない絵がある。
生きているうちに何枚見ることが出来るだろうか。


余談であるが、展覧会を見終わって、隣の平安神宮に立ち寄った。
ここの神苑という日本庭園には初めて立ち寄ったのだが、大変素晴らしい庭園だ。
午前中ということもあって殆ど人もおらず、美しい庭園を独り占めして散歩できた。
咲き誇る西神苑の睡蓮、美しい東神苑の泰平閣(橋殿)など、入場料600円は安い。
中の休憩所で、風鈴の音を聞きながら睡蓮を眺めつつ抹茶を頂いた。
静けさの中で京都を満喫した一日だった。