アーノルド・ベックリン「死の島」(ベルリンにて)
現在、出張でドイツ・ベルリンに来ている。
昨日、夕方からの空き時間で旧ナショナルギャラリーへ足を伸ばした。
ここには、以前から見たかったアーノルド・ベックリンの「死の島」があるのだ。
実物を前にすると圧倒される。
素晴らしい絵である。
詳細に見てゆくと死の島の船着き場の奥にはかすかに何かが描かれている。
寺院なのか、祭壇なのか、はたまた別世界(冥界?)への入り口なのか。
あらゆる表現から画家の「どうしてもこれを描きたい」という強い意志が伝わって
くる。ベックリンが同じ題材で何枚も細部が異なる絵を描いていることからもそれが
わかる。
他にもベックリンの絵はたくさんあり、それらを見てゆくのも興味深かった。
髑髏と一緒に描かれている自画像や、Ocean Brakerと題名がつけられた、ギリシャ
神話の鎖につながれたアンドロメダを想起させるような絵など、どれを見てもこの
画家の尋常ではないイマジネーションと画力が伝わってくる。
このように僕はベックリンの絵を堪能したのだが、一方、多数展示されている他の
ドイツの画家の絵にはいまひとつピンをくるものを感じられなかった。
直感なのだが、どうもドイツ人の描く絵は説明的なのだ。
人物画にしても歴史画にしても「この絵はこういう意図(あるいはこういう人物
の感情でも良い)で描いたことをわかって欲しい」という画家の切実な思いが
伝わってくるのである。もちろんそれは真面目、ということではある。
しかし、絵に関して言えば、それが常にプラスに働くとは限らない。
過剰に説明的な絵を見ていると講義を聴かされているような気分になる。
講義を聴きたいのなら絵を見る必要はない。
この美術館には他にも、セザンヌ、ルノワール、マネ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、
シニャックなどの印象派の名品が多数展示されていた。こんな美術館が東京にあった
らどれほどすごいだろうか、と思わずにはいられない。
今回、改めてセザンヌのすばらしさを満喫出来たこと、それからルノワールの良さが
少しわかってきたことは僕にとって大きな収穫だった。
このような得難い経験ができるのは海外出張の余録である。
明日は絵画ギャラリー(Gemaldegalerie)に行ってフェルメールを見てこようと思う。