風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

アリス=紗良・オット ピアノリサイタル

二つ前の記事で取り上げたアリス=紗良・オットのピアノリサイタルにびわ湖ホール
に出かけた。このホールは駅からやや離れた場所にあるが、琵琶湖に面していてホワ
イエから眺めを楽しむことができる。
ホール自身も落ち着いた良い雰囲気のたたずまいであった。
この日のプログラムは前半がメンデルスゾーンの「厳格なる変奏曲」とベートーヴェン
の「ワルトシュタイン」、後半がショパンのワルツ5つとスケルツォ2番というもの。


最初の「厳格なる変奏曲」は僕にとっては思い入れの深い曲で、それは昔、長い時間
取り組んだ上で人前で弾いて崩壊してしまった曲であるからだ。そういう私的な事情も
あってとりわけ興味深く聴いたのだが、僕の感想は「ちょっと違うのでは?」という
ものだった。
もちろん評価の高いプロのピアニストであるからして、技術的な問題はほとんどない。
(最初の曲ということもあって低音の鳴りが足らない点とペダルを離す音が大きいの
 は少々気になったが)
僕が違和感を感じたのは曲の流れの構成の部分である。


一般に、変奏曲の演奏はソナタに較べて難しい。
ソナタのように第一主題と第二主題があってその対立と融合で展開が形作られてゆく
形式と違い、変奏曲は一般にモノテーマであって、主題が形を変えながら展開される
のだが、ソナタ形式とのもう一つの違いとして調性があまり動かないことがある。
調が動かずモノテーマであるが故に、構成をうまく考えて演奏しないと聴いている側
が退屈する危険がある。この曲の場合、最大の山場は終盤の第16変奏以降なのだが、
その前にも第9変奏もひとつの山であるし、それを超えて「祈りの音楽」である第14変奏
を経てどう第16変奏まで繋げるか、各変奏の持って行き方が重要な部分である。
このピアニストの演奏ではこの部分がぶつ切りで、残念ながら考え抜いた演奏とは感じ
られなかった。また、ところどころで散見されたペダルの処理(上げるべきところを
きちんと上げきらずに次の変奏に入ってしまった部分)は残念だった。


一転して「ワルトシュタイン」はとても良かった。
ベートーヴェンソナタは構成ががっちりしていて、楽譜通り弾けば誰でも自然に
音楽が出来るように作られているので、その点は「厳バリ」に較べると楽である。
アリス=紗良・オットは特別なことはせず、ごく自然にこの雄大ソナタを弾いて
くれたので、僕も音楽をうんと楽しむことができた。
特に第二楽章から第三楽章の入りの部分は出色の出来で、夢の世界から現実世界への
移ろいの表現を、非常に高いハーフペダルとタッチの技術で表現していて実に素晴ら
しかった。第三楽章終盤のオクターブ・グリッサンドも技術的に破綻なく見事だった。


後半のショパンのワルツ5曲。
僕が以前、飛行機の中で聴いて面白いと感じた通り、これも良かった。
この人なりのテンペラメントの発露や、他の人の演奏では決して聴けない不思議な
フレーズを取り出してくる工夫とか、演奏がキラキラと輝いていて飽きない。
特に良かったのはイ短調のワルツ(Op34-2)で、この技術的には簡単と言っていい
ワルツに含まれる「憂愁」と「憧れ」と「哀しみ」と「諦念」を、多彩な音色と丁寧
な強弱を絵の具にして、繊細に描き込んでいた。
これに続いて演奏されたスケルツォ2番は立派な出来ではあったが、ごく普通の演奏
という感じ。ワルツほどの面白さや意外性は感じられなかったのが正直なところ。
この曲も構成ががっちりした曲故にアリス=紗良・オットは素直に弾いただけ、という
ところなのだろうか?
アンコールは三曲でショパン嬰ハ短調ノクターン(遺作)、リストの「ラ・カンパ
ネラ」、ベートーヴェンの「エリーゼのために」。
ちなみに拍手は「ラ・カンパネラ」が一番大きかった。
アンコールで「ラ・カンパネラ」を楽々と弾けるということは得意曲なのだろう。


今日のリサイタルを通してみて「面白いピアニスト」という僕の評価に変わりはない。
かってリヒテルやニコライエワを生で聴いたときのような、息が止まるような感動は
なかったものの、技術は確かだし何かを持っているピアニストであると思う。
もう少し低音部でずしんと来るような響きが出せればさらにいいのではあるけれど。