風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

アリス=紗良・オット

アリス=紗良・オットというピアニストに興味がある。
若干19歳でドイツ・グラモフォンと契約した美人ピアニストということで、話題に
なっていたのは知っていたが(『アルゲリッチの再来』とか『ピアノ界のジャンヌ・
ダルク』とか言うのはどうかと思うが)、どうせ○○コンクールで優勝したと言っては
大仰に売り出す新進ピアニストの一人だろう、と高をくくっていた。それが9月の
ドイツ出張の際、ルフトハンザの機内のオーディオシステムにこの人のショパン
ワルツ集が乗っかっていたので暇つぶしに聴いてみたところ「けっこう面白かった」
のである。


僕はショパンの曲の大半は正直あまり興味がなく、特にノクターンとかワルツといった
曲になると何番がどの曲なんてさっぱりわからないような人間である。僕が一番好きな
ピアニストの一人のディヌ・リパッティはこのショパンのワルツ全曲のアルバムが有名
だし、死の直前のブザンソン告別演奏会でのライブ盤は絶品とされているが、僕には今
ひとつ食指が動かない。そんな僕が聴いてみよう、と思ったのは退屈していたことに
加えて同じシステムに乗っかっていた(同じく美人ピアニストと評判の高い、笑)
ユジャ・ワンの演奏するブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」他を聴いて
いささか疲れたからに他ならない。


話が逸れるが、ユジャ・ワンという中国のピアニストもたいしたものである。。
何よりテクニックがもの凄い。難曲中の難曲(というか指定のスピードで全部の音を
弾いて手を故障しないでいられるのが僕には信じがたい)であるパガニーニ変奏曲を、
いとも簡単に楽々と弾きこなしている。同じ音源にストラヴィンスキーの「ペトル
シュカからの3章」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」も入っていたのだが、これらも
パガニーニ変奏曲に劣らぬ難曲なのだが、平然と余裕を持って弾いている。
機中でこれらを聴いて僕は「なんとも凄いなぁ」と思った。
でも、正直、疲れてしまったのである。
なんというか、この人のピアノには何かが足りない。
難曲であればあるほど必要とされる何か、が。
この人がそれを持っていないとは思わない。それは同じ音源に(まるで箸休めのよう
に入っていた)スカルラッティソナタを聴けば明らかである。


閑話休題
アリス=紗良・オットである。
この人のワルツを聴いてまず感じたのは、若さだけが生み出せる抒情である。
その抒情は若さのひたむきさと感情の未熟さに起因するものであって、ある一定
年齢以上の演奏家には『求めても得られないもの』である。
もっとも若くさえあれば誰でもこの抒情を生み出せるかというとそうではなくて
選ばれた人しか生み出し得ないところが難しいところだが、彼女にはそれがある。
もちろん若いということで、それなりのテンペラメントの発露もあるわけで、それ
もまた楽しい(以下のYouTubeベートーヴェンの熱情などを聴いてもわかる)。

一方、テクニックとパワーは残念ながらユジャ・ワンほどではない。
この人のデビュー盤はチャイコフスキーのピアノ協奏曲だったそうだし、リスト
の超絶技巧練習曲も録音しているようだが、ピアニストとしてテクニック勝負は
難しいと思う。ただ弱音〜再弱音のコントロールは立派なものでピアニストとして
やっていくには大きな問題はない。


さて、上に述べたようなことはアリス=紗良・オットしか持たない美質ではない。
才能のある若いピアニストでこのような美質を持つ人は他にも多くいるだろう。
では、何が僕に興味を持たせたのか?
機内で彼女のワルツを聴いていたとき、ある曲で(曲を特定できません。すみません)
で「あれっ」と思ったのだ。彼女はその曲のある部分でわずかにリズムを強調すること
で「ここは、ほら、ヘミオラになっています」と聴き手に意識させるような演奏をした
のだ。僕はその曲のその部分についてそれを意識したことがなかったので新鮮な気持ち
でその提示を愉快に受け止めた。
この部分に限らず、彼女の演奏にはそこここにかなり考えて工夫した跡が見られた。
それが適切かどうかについては判断は留保するが、自分の頭で必死で考えて自分の音楽
を作ろうとしていて、指先の勢いやテンペラメントに任せた部分が少ない。
それは落ち着いているようにも、あるいは力強さが欠けるように映る可能性はある。
しかし、僕は面白いと思った。
内田光子以来、久しぶりに知的なものに重きを置いた日系ピアニストが誕生するかも
しれない、と思ったからだ。


アリス=紗良・オットは完成されたピアニストではなく、これからのピアニストである。
果たしてこれからどのように彼女の演奏が変化してゆくのか興味深い。
そんなことで、来年1月の彼女のリサイタルのチケットを取った。
今から楽しみにしている。