風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

映画「カティンの森」を見て

今の人達には想像も出来ないだろうけれど、僕が若かった時代は米ソ冷戦のまっただなか
で、ある日、日本に核ミサイルが落ちてきて自分はじゅっと蒸発してしまうのでないか、
という恐怖は僕の中では現実のものとしてあった。皆が皆、そんなことを想像して暗い
気分で日々を鬱々と過ごしていたわけではないけれども、同じように感じていた人が多か
ったことは、当時、その手の近未来小説が沢山書かれたことでもうかがい知れる。
(『渚にて』とか『フェイル・セイフ』とか『神と野獣の日』とか)
そこでの恐怖は『自分がいきなり理不尽な状況の中で殺される』というものだった。
この恐怖を久しぶりに映画「カティンの森」は思い出させてくれた。


ほとんどの日本人にとって「カティンの森の虐殺」と言ってもぴんと来ないだろう。
それどころか、第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻によって始まったのだが、その
機に乗じてソ連軍もポーランドに攻め入りその東半分を占領したことも知らない人も多い
のではないか。この短い戦争で捕虜になったポーランド将校1万人以上がソ連軍によって
秘密裏に虐殺された。
映画はこの事件と将校たちの家族のその後の姿を描いている。


詳しいストーリーは公式サイトのストーリーとイントロダクションを参照頂きたいが、
映画の最後の最後で再現される処刑シーンは実に機械的で冷血そのものである。
ポーランド人将校たちは森の中の穴の前に引き出され、次々に頭をピストルで撃ち抜か
れてゆく。多くの将校は祈りの言葉を呟くがそれが終わる間もなく、一瞬で血まみれの
骸となり穴の中に投げ込まれる。
そしてさらに恐ろしいのは淡々と事務的・機械的に処刑作業を進めるソ連兵の姿である。
一瞬のためらいも感情もなく淡々と人間の頭を打ち抜いてゆく非人間的な態度。
見ているうちに、僕はもう一つの想像に恐怖していたことに気づいた。
それは『僕がソ連軍兵士ならきっと同じように虐殺に手を貸しただろう』ということ
である。
いや、それだけではない。
この映画の中には、戦後、ソ連の衛星国となったポーランド政府で働くようになった、
ポーランド人将校や虐殺された将校の家族たちが登場する。
彼らは身内を殺したのはソ連であることを知りつつも、自分の生活と身を守るために
虐殺はドイツの仕業とするソ連プロパガンダを守ろうとする(裏切り者呼ばわりされた
一人は耐えきれず自殺するが)。僕も彼らと同じ立場だったら同じように身を守るため
に真実を曲げることに協力したのではないか。
この映画は仮想的に僕に実存としての決断を迫る映画だった。


思えば僕がずっと興味を持って追い続けているテーマは『なぜ、人間はしてはならないと
判っている事柄を魅入られたように繰り返してしまうのか』ということなのだった。
虐殺もまさにそうである。
誰が考えても絶対はしてはいけない、とわかっていながら、人類は歴史の中で何度も何度
も繰り返している。そして、僕だって手を下す側に立たされたらやってしまうかもしれ
ないのだ。


『そんな馬鹿な。僕に限って絶対しないよ、そんなこと』
『みんなやってるんだから、その時はやむを得ないし、仕方ない』
と思える人たちが羨ましい。
僕はどうしてもそういう風に考えられないのだ。

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