風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

真珠の耳飾りの少女

ドイツで過ごす日曜日。
出発前の計画通り、列車を乗り継いでオランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館
向かった。国際特急Thalys(フランスの超特急TGVのと同じだが深紅に塗られている)
は全席指定で、座席も広くとても快適。列車はフランドルの平野をひた走りベルギー
領に入りブリュッセルに着く。ここで別のThalysに乗り換えてオランダ領に入りロッ
テルダムへ。ロッテルダムからさらに特急列車二本を乗り継いでやっとハーグに着い
たときはお昼前であった。
マウリッツハイス美術館は駅前と聞いていたのだが、それらしい建物はない。
道路のサインを見ながら歩くと10分ほどで小さな、しかし美しい建物が見えてきた。
憧れのマウリッツハイス美術館である。

入場券を買ってさっそく3階(表記は2階であるが)の16号室に向かう。
部屋にはいってすぐのところにお目当てのヨハネス・フェルメールの「真珠の耳飾り
の少女」があり、その向かいに「デルフト眺望」がある。絵には(あの反射が邪魔な
)ガラスが被せられておらず、人も少なくじっくり鑑賞できる素晴らしい環境だ。
この二点について言えば、往復8時間をかけて見に来る価値のある素晴らしい
作品だった。


真珠の耳飾りの少女」は実に不思議な絵だ。
近くで見るとソフトフォーカスなのに、ある距離(1メートルぐらいか?)まで離れると、
びっくりするほどピントが合った感じでリアリティのある絵になる。
この少女の視線、唇の色つや、青いターバンの色、衣服の黄色、全てが目を惹き
つけてやまない。この美術館は人が少ないので思う存分、近づいたり離れたり
して眺めることができる。僕は15分以上、この絵の前を動けなかった。
フェルメールの人物画は他のどの画家とも違った静けさと調和の中にいる。


「デルフト眺望」。
僕は今回、この絵にもっとも衝撃を受けた。

マルセル・プルーストが『私はこの世でもっとも美しい絵を見たことを知った』と
手紙に書き、『失われた時を求めて』でも取り上げたこの絵。
凡庸な表現だけど、素晴らしい、とか、息をのむとしかしか言いようがなく、僕も、
こんなに美しい絵はかつて見たことがない。
何と言うのだろう、全てが完璧に調和し、完璧な静謐の一瞬が切り取られているのだ。
この絵は「真珠の耳飾りの少女」とは違って、高いコントラストの中で微細な細部
すべてにピントがあっている恐ろしく解像度の高い絵、という印象を受けるのだが、
実はよく見てゆくと、画家はそれほど細かく描いていないのである。
日本画の岩絵の具のような荒い顔料を使ってざらざらした質感をテクスチャーとして
与えたり、顔料の粒子の光の反射を利用したりすることによって過剰に書き込むこと
なく複雑なディティールに溢れているような印象を与えることに成功している。
また、過去に僕が指摘したようにフェルメールは建物の壁にしても船の木材にして
も「記号として書く」のではなく、徹底的に自分の目で見て(ある場合にはカメラ・
オブスキュラのような道具も使ったかもしれない)リアリズムを追求したが故にこの
ような表現ができたのだろうと思う。


さて、この美術館にあるのはフェルメールだけではなく、他にも非常に質の高い
絵画が展示されている。有名なところではレンブラントの「ニコラース・デュルプ
博士の解剖学講義」や「ホメロス」「老人像」、ヴァン・ダイクの「ペーター・
ステーフェンスの肖像」やルーベンスの「ロウソクを持つ老婆と少年」など。
これらどれもが実に素晴らしく、日本でならそれぞれの絵をメインにして展覧会が
開かれてもおかしくないほどのものだ。
やはり有名な画家の肖像画では描かれた人の内面が描かれている、と今回体感した。
ここに挙げた作品以外で印象に残ったのは、ホルベインの「ロバート・チェースマン
の肖像」やクラナッハの作品(聖母と思う)、メムリングの「レピネッテ一族の一員
の肖像」などだった。またブリューゲルの絵の色彩の豊饒さには圧倒された。


小さい美術館なのに、非常に質の高いコレクションなので、今回は時間が足りず、
本当に残念だった。ここならば1日でも過ごせる。
必ずまた、「ヨーロッパ芸術の旅」の時に立ち寄ろう。
決意して「きっとまた見に来るよ」と「真珠の耳飾りの少女」にそっと告げ、僕は
美術館を後にした。