風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

映画「山猫」と文化資本

ルキーノ・ヴィスコンティ監督の映画「山猫」完全復元版を見た。
なんとも複雑な味わいを持つ映画である。
「この映画は○○を表している」と一言で言い切れない複雑さ。
それは僕にとっての「良い映画」の必要条件である。


映画のあらすじは複雑なものではない。
イタリア統一戦争の1860年シチリア島で栄華を誇ったサリーナ家のドン・ファブリ
ツィオ公爵(バート・ランカスター)は貴族支配の時代がまもなく終わろうとしている
ことを自覚し、革命軍である赤シャツ党に加わる甥のタンクレディアラン・ドロン
を愛する自身の娘コンチェッタでなく、成り上がりの新興ブルジョア・カロジェロの娘
アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)との婚約を進める。
タンクレディは革命軍に見切りをつけて寝返り国軍の将校になって、意気揚々と凱旋
する。映画の後半40分は豪華絢爛たる舞踏会シーンが延々と続く。


この映画は貴族の落日、没落を描いている、と言われている。
確かにその一面はある。
しかし、同時にこの映画は貴族の美しさもまた描いている。
ファブリツィオ公爵は生まれてから一度として他人に膝を屈したこともなければ、人に
阿ったり、人に使われたこともないような人物として描かれる(傲慢でもあり、自らの
快楽の追求にも堂々としている)。
その公爵の姿には傲岸さは感じるものの、とても美しい。
一方で、革命軍の理想に身を投じようとする甥に幾ばくかの金を与える公爵の姿には、
(自分の愛する王制を倒そうとする)理想を求める若者を援助しようという度量の大き
さと、理想を愛する心が見て取れるのだ。


いつも背筋をぴんと伸ばし、威厳を決して失わない公爵が、時代の流れを悟り、甥は
わが娘よりも金を持っているブルジョアの娘と結婚したほうが未来がある、と考え、
気に染まぬ相手との縁組みを進める様子には、現実から目をそらすまいとする覚悟と、
傷ついた誇りとが滲み出ている(これを貴族の嫌らしさ、と捉える人もいるのだろう)。
自らの誇りを傷つけてまで進めたこの縁組みなのだが、甥のタンクレディはあっさり
と理想であったはずの革命軍から国軍に寝返ってしまう。
ファブリツィオ公爵は、自らの誇りの支えであった貴族階級の没落と同時に、甥が理想
をあっさり捨てたことで彼に託した思いも裏切られ、疲れ果ててしまう。
舞踏会のシーンの最後で、アンジェリカにワルツを踊って欲しいと頼まれ、踊る公爵。
その姿は公爵の消えてゆく貴族の(そして美しい女性に対する雄としての)最後の舞
なのだ。絢爛豪華な舞踏会シーンはこの舞の舞台として、そして公爵の底知れぬ空虚感
を際だたせる意味を持っている。


さて、この映画を見ているうちに別のことに僕の思いは至った。
それはピエール・ブルデューが唱えた「文化資本」という概念である。
映画の公爵家には多くの絵画が飾られており、楽器があって娘たちがそれを演奏して
いる。ブルデューの「文化資本」とは「各家庭がもつ文化的能力や文化的財が合わさっ
たもの」で「社会においてオーソドックス(高級)と見なされている芸術、文化への
アクセシビリティ」なのである。
貴族階級の子供であったら自宅に美しい絵画があり、多くの書物があり、クラシック
音楽が日常の中にあり、それらに囲まれて育つことで、相対的に現在の支配的な
(つまりオーソドックスで高尚と認められている)文化に対する感受性を自然に身に
つける(つまり身体化する)ことになる。もちろん普通の家庭に育った子供たちも、
大人になって自分にはそれが必要(特に社会の支配層にアクセスする手段として)と
考え『教養として』身につけることはできるが、そこには「文化を自然に身体化した者」
と「必要性を感じて後天的に頑張って身につけた者」の間の超えがたい差があり、後者
はどんなに頑張っても前者が持っているような文化に対する「ゆとり」や「余裕」を
持つことができず、結果的にその点で前者から「区別される」ことになる、と言うのだ。
身も蓋もない一言で言えば『育ちの卑しさだけはどうしようもない』であろうか。


この映画の中で公爵が新興ブルジョアの人々を見やる視線には、冷ややかな侮蔑が込め
られている。『育ちの悪いブルジョアの奴ら』を見やる公爵のこの傲岸な視線!
その視線は公爵の心底の本音を表しているのだが、にも関わらず金という別種の力に
よって、公爵は彼らに膝を屈さざるを得ない。
『我々は山猫とライオンだったが あとを継ぐのはジャッカルやハイエナだが、
 山猫もライオンもジャッカルも羊も―自分こそ正義だと信じている』
という公爵の絶望的な呟き。
その言葉は「自らは山猫(サリーナ家の紋章)である」という誇りと、その自分たちが
下司で育ちの悪いブルジョアたちによって駆逐され、確実に没落してゆくことを見抜いた
哀しみと苦渋に満ち満ちている。
公爵の怒りと哀しみは、ニーチェツァラトゥストラの怒りと哀しみなのだ。

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