風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

政権交代の意味

自民党が下野して民主党政権が誕生してまだ数日。
新大臣たちが矢継ぎばやに命令や指示を出している。
政権が変わったのだなぁという実感がある日々である。


閣僚の記者会見や発言を聞いていて「いいなぁ」と率直に思う。
「やっと政治をまともな方向に持って行こうとする人たちが出てきた」と。
政治ニュースを見たり、新聞の政治欄を真面目に読むのが実に楽しい。
しかしながら、一方で週刊誌やらワイドショー的な番組などを見ると、早くもいろ
いろな批判めいたことが言われている。
「実はこれは小沢政権なのであって・・・」とか
参院選を睨んで今回参議院議員を3人入れた」とか
温室効果ガス90年比25%減はどうせ無理だ」とか
「彼らの政策を実行すると大きな政府になってしまうのでは・・・」とか
 etc. etc.


僕に言わせれば、そんなことは枝葉末節である。
もっと言えば、民主党政権によって、経済が沈没しようが、温室効果ガスが逆に増え
ようが、公務員の数がさらに増えて大きな政府が出来ようが、極論すればそんなこと
は本質的な問題ではない。
もしそれが問題でまずいことになるようなら(岡田大臣が公言しているように)次の
選挙で民主党に下野して貰えば良い。
今、民主党が本気でやろうとしていること、即ち政治家が自らの頭で政治判断をし、
官僚にそれを実行させ、その責任は政治家が取る、という仕組みが本当に出来れば、
今回の政権交代の意義は達成されたと思うのだ。
これは歴史的転換だと本当に思う。


日本の政治の一番の問題は、これまでの政治家の「官僚依存」(「官僚支配」では
ない)にあったことで、これは政策の内容がどうという問題ではなく、政治の「仕組
み」の問題だった。
官僚の方々は(僕のような平均的日本人に比べて)非常に優秀である。
使命感を持った優秀な官僚の人たちは、派閥力学と当選回数ベースで順繰りに送り
込まれる識見も能力も知性も使命感もない頼りない大臣を前にして、どう感じてきた
だろう、と僕は(勝手に)想像してみる。
それば『頼りない馬鹿上司を前にした有能な部下』が感じることと同じではないか。
国益を守らなければという使命感と、自分の職場と自分を守らなければという保身の
狭間にあれば、いかに馬鹿上司といえどもせっせとペーパーを作り支援してもり立て
てやらなくては仕方ない、大臣の頭では政策立案ができないのなら、代わって自分
たちが入れ知恵して格好をつけなくては、と思うのではないか。
そして事実ずっとそうしてきたのだろうと思う。


しかし、である。
官僚は選挙で交代させられない。
どんなに優秀で有能であっても、結果に責任を取れない人たちに政治を任せるわけ
にはいかない。
国会議員は、国民の信を失って選挙に負ければ失職する。
官僚は公務員なので基本的に失職はない。
官僚はたとえどれほど政治家と比べて「優秀」で、仮に「無謬」であったとしても、
選挙民によって排除できる可能性がないのならば、政治判断を行ってはならない。
我々には選挙権があり、国会議員をクビにしたり、政権交代を可能にすることが
(原理的に)できるような仕組みになっている。「我々があの人たちに政治を任せた
のは間違いだった」と選挙民が気づいた時「代えることが出来る人たちだけが政治
判断を行える仕組み」を作ろうと民主党政権は本気で取り組んでいる。
民主党政権がこれからどんな失政を重ねようとも、この仕組みだけは作り上げた後に
下野して欲しい、と国民の一人として心から願っている。