風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

軽井沢・野辺山紀行(1)

週末を利用して軽井沢と野辺山を旅してきた。
軽井沢という土地には思い入れがある。
僕が好きな作家の堀辰雄の代表作「美しい村」の舞台が軽井沢なので、以前から行っ
てみたかったのだ。もちろん、小説に描かれている軽井沢は昭和初期のものであるし、
さらにその風景は堀辰雄の心の中で純化された記憶を元に描かれたものである。
もちろん「軽井沢の俗化」は僕の耳にも届いている。そんなわけで僕は、期待半分、
夢を壊されるおっかなびっくりの気持ち半分を抱いて一人長野新幹線に乗った。


駅前で荷物を預けて自転車を借り、軽井沢駅から旧軽ロータリーを目指す。
その中で堀辰雄の「風立ちぬ」の冒頭に出てくる「せせらぎの小径(アカシアの小径)」
南端あたりの山道を少し上ってみた。小説では展望が開けた場所のように描かれて
いたのだが、残念ながら開けた場所には至らず、しぶしぶ道を後戻りする。
すると山道の中央に変な姿の動物がいる。
「猫だろうか?」と思ってよく見るとイノシシの子供だった。
近づくと逃げてしまったが結構山深い土地なのだ、と改めて認識。


「せせらぎの小径」をペダルを漕いでゆっくり北上する。
小川に沿ったアカシアの並木道なのだが、人影は少なくとても静かだ。
別荘のどれもが静かなたたずまいを見せているのが嬉しかった。
どの別荘を見ても奇抜であったり、派手であったり、大げさであったりせず、とても
簡素でシックなのだ。
このある種の趣味の良さは、恐らくはこれらの別荘を建てた人々の生活の趣味に起因
していることは間違いなく、さらに言えば、それは恐らく金銭的な豊かさに裏打ち
された趣味の良さ、つまりはことさらに「持っている」ということをひけらかし
たり、大げさに言い立てる必要などない階層の人たちが共有している文化の元に、
この土地が開かれていったことを示していると僕には受け取られた。
品の良い万平ホテルの喫茶室であんずジュースを飲み一服。


しかしシックで静かなのは旧軽井沢ロータリーまでだった。
すごい雑踏で、街の雰囲気も東京の繁華街を思わせる喧しさだった。
「軽井沢は俗化された」というのはこの雰囲気を指すのだろう。
立ち並ぶけばけばしいショップ、派手派手しい看板、etc。
そんな軽井沢銀座を抜けて三笠会館の二階のレストランでランチを食す。
評判の「高原野菜のサラダランチ」は想像以上に素晴らしい。
とにかく野菜の味が際だっている。
食後、軽井沢銀座を東に「つるや旅館」から二手橋まで歩く。
「つるや旅館」は堀辰雄の軽井沢での定宿だった所だ。

このあたりまで来ると観光客も少なくなり、街には静けさが戻っている。
さらに、軽井沢銀座を後にして自転車で聖パウロ教会から「水車の径」を走ったが、
僕にはやはり「せせらぎの小径」付近が一番印象深かった。
この写真は「せせらぎの小径」近くの「フーガの小径(堀辰雄の小径)」。


旧軽井沢はここまでにして、自転車で南西の軽井沢高原文庫を目指す。
途中で景勝地雲場池(美しい池である)に立ち寄って写真を。


道に迷ったこともあって、軽井沢高原文庫は随分遠く感じられた。
ちょうど辻邦生の企画展をやっていたのであれこれ展示物を眺める。
辻邦生はほとんど読んでいなかったので2冊本を購入。
さらに、この場所に移築された堀辰雄の山荘を見学。
実に粗末な(ぼろぼろの)山荘で驚いた。
こんな山荘に籠もって堀はあの美しい小説の文章を紡いでいったのだろうか。


この日は夜、野辺山に泊まることにしていたので、小海線の列車の時間もあり、
軽井沢を存分に堪能することはできなかったけれど、旧軽井沢銀座近辺を別に
すれば、好ましい土地であると思った。
次に来るときにはぜひ信濃追分にある堀辰雄文学館にも立ち寄りたいと熱望しつつ
小海線の鈍行列車に乗る。
延々と列車に揺られ、野辺山に着いた時にはもう日が暮れていた。


              (続く)