風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

心配するのが仕事

松下幸之助が「社長業とは心配することだ。心配して、心配して、心配するのを
生き甲斐として楽しめる人ではないと駄目だ」というようなことを言っていたと
記憶する。しかしながら、その言葉が当てはまるのは社長業だけでなく、どんな
に小さくても組織の長は皆同じようなものではないだろうか?


最近の僕は心配事と悩み事だらけである。
その心配事、悩み事は自分自身の事柄というよりも、自分が抱えている責任に
付随するもので、殆どが部下たちの問題、組織そのものの問題である。
自分自身が頑張ればすむ、とか自分自身が無理をすれば良い、とかそういう事柄
でないのがなんとも辛いところである。
残念ながら僕は人間が出来ていないのか、そういう状況を楽しむには到底至らない。


あるひとつの心配事が片付くと、それまで脇で小さくなっていた別の心配事が
いそいそと手を挙げ、すぐに新しい主役の座にどっかりと腰を下ろす。
場合によっては二つ、三つの心配事が主役の座を争っていたりする。
考えてみれば当然か。自分自身のみが関わる心配事、悩み事ではないわけだから
極論すれば組織に関わっている人数分の心配事、悩み事があると言っても過言で
はないわけで、そうなると心配の種は尽きることがまずない。


どこに行っても、何をしていても、心のどこかに心配事、悩み事が常にある、
というのが常態になってもう久しい。
若い頃はもっと違っていたような気がするのは気のせいだろうか?
あの頃も今のように悩み事、心配事が順番待ちをしているような状態だった
のを忘れているだけなのか?
単に昔は良かった、という懐古的勘違いなのだろうか?
それはともかく、心配事、悩み事がわずかしかなくて、すっきりしゃっきりした
一日、というのは1年のうちで、もはや数えるくらいしかないように思う。


ここまで書いてきて、歳を取ることに似ている、と思い当たる。
僕だって、ぎっくり腰をしたり、血圧が上がったり、視力が悪くなってきたり、
ずいぶんガタが来ている。つまり「常に体のどこかに不具合が必ずある」という
ことだ。体調が完璧ですっきりしゃっきりしていて快調!という日は、一年の中で
数えるぐらいしかない。
これは上に書いた心の状態と同じ状態ではないか?


こうやって、心配事と悩み事、体の不調に取り付かれ苦しみながら老いて死ぬのか?
そんな風に考えてしまって、今日はいささか気が重くなった。
とてもまっとうな考えとは思わないが、思ったこととしてここに書き留めておく