風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

グスタフ・レオンハルト チェンバロリサイタル

雨の中、第一生命ホールでのレオンハルトチェンバロリサイタルに行ってきた。
レオンハルトは今年81歳になるチェンバロの巨匠、学者肌でマスコミに距離を置く
孤高の巨匠として知られる演奏家である。

リサイタルで演奏された曲はどれも僕の知らない曲(恐らく一般の音楽ファンにも
馴染みがない曲)ばかりで、そうなると僕は曲については何ともコメントのしよう
がない。聴き巧者ならともかく、僕レベルの音楽好きの場合、一度聴いて素晴らしい!
と思う曲はだいたい誰が聴いても素晴らしいと思ういわゆる「名曲」レベルであって、
隠れた佳曲レベルだと「ふうん」と思うのが関の山なのである。
情けないけれどこれが現実である。
よって、ここに記す内容は、チェンバロの音そのものについてとか、レオンハルト
たたずまいについてとか、そういった周辺的な事柄についての散文的な印象である。

まずチェンバロの音について。
僕もいくらかはチェンバロリサイタルに行ったことがあるのだが、レオンハルト
チェンバロの音は他と全く違う。倍音が充実した豊かな響きなのだが、重音や和音、
そして声部が重なる部分での響きがとても透明でびっくりするほど美しいのである。
反面、部分的にあるパート(ある調性?)においては音がひどく濁り、調律が狂った
のでは?と錯覚するほどなのだ。
最初のルイ・クープランの曲からそれを感じた僕は、すぐに楽器の調律が平均律
はないミーントーンやウェル・テンペラメントなどの古典調律なのか?と思ったの
だが、休憩時間に買ったプログラムの中の解説によれば、レオンハルトは常に自分
で調律をしていて(事実、休憩時間に演奏者本人が出てきて楽器を調律していた!)、
それも演奏するプログラムに応じて彼曰く「ファンタジーな響き」になるように
『独自に』調律しているとのこと。
なるほど、と感心し納得した次第である。

レオンハルトのテクニックについて。
僕自身、チェンバロを弾いたことは数えるほどしかないのだけれど、ピアノとの
あまりの違いに愕然としたことを覚えている。確か平均律のフーガを恐る恐る
弾かせて貰ったのだけれど、音と音がまったくレガートにならない!
これはチェンバロが撥絃楽器(爪で弦を弾く)であるためで、チェンバロ
弾くにはピアノとは違った指のテクニックが必要なのだ。それだけではなく、
ピアノでは簡単に出来る音を大きくしたり小さくしたりすることや、タッチの
ニュアンスをつけるといったことがチェンバロではほぼ不可能なため、チェン
バロ奏者はわずかに音を出すタイミングをずらす等、音を際だたせたり強弱を
表現するのに様々な工夫が必要になる。
そのためにチェンバロのリサイタルでは、妙にリズムがギクシャクしたり、間延び
したり、変な印象を受けることがあるのだけれど、さすがにレオンハルト、その
ような印象は最初から最後まで受けることがなかった。
際だたせるべき音はしっかりと響き、影に隠れるべき声部はさりげなく、それで
いてリズムもまったく崩れることなく、端正な演奏が繰り広げられる。
さすがに巨匠、と感じ入ってしまった。

最後にグスタフ・レオンハルト本人について。
とにかく彼の存在そのものが圧倒的である。
81歳の老人であるわけだが、一目見て圧倒的な知性と品性にあふれた高徳の人、
という拭いがたい印象を持った。
彼の一挙手一投足は、静かで無駄な動きが無い。
椅子に端然と背を伸ばして腰掛け、演奏中も感情の動きが露わになることは
ほとんど無い。観客に対して愛想が良いわけではないのだが、誰もが自然に
敬愛せずにはおれない偉大な人、というオーラに充ち満ちている。
パンフレットにも「貴なる人」という言葉が記されていたが、全くその通りである。

こんな美しい素晴らしい老人になりたい。
心からそう思った夜だった。

グスタフ・レオンハルト チェンバロリサイタル