風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

クレーの絵を見て

渋谷のBUNKAMURAザ・ミュージアムに「ピカソとクレーの生きた時代」と銘打たれた
展覧会を見に行ってきた。ドイツ・デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン
州立美術館所蔵のK20と呼ばれる20世紀絵画のコレクションを日本に持ってきて展示
したものである。
僕はクレーの絵が好きなので興味を持って出かけた。

出展されていた絵画は全て20世紀のもので、は表現主義(フォビスム)からキュビ
スム、そしてシュルレアリスム絵画が順に展示されており、最後の部屋に数点のカン
ディンスキーと沢山のクレーの絵がある。
ひとつ面白かったのは、展示を順に見ていくことで、表現主義、フォビズムから
キュビスムへの展開、そしてキュビスムからシュルレアリスムへの展開に必然性が
感じられたことだ。
対象物を立体(円筒や四角形)で極端に単純化・象徴化するキュビスムの絵で不足
するリアリティを新聞紙や広告のコラージュで補ったり(ピカソの作品など)する
方向性(つまりあくまで具象から足を離さない方向性)がある一方で、完全に具象
から離れるカンディンスキーのような行き方の萌芽にもなっていることが読み取れる。
他方、全く違うスタンスのシュールレアリスム絵画の萌芽にも繋がっていて、とても
興味深い。
作品は、どれを取っても画家の個性が刻印されているわけだが、一方では他者の作品
に強くインスパイアされ、影響を受けることで、一つの潮流の中に結果的に位置づけ
られることになる。
時系列に並べられた作品群を前にするとこの流れが分かり、とても面白かった。

さて、最後の部屋に集中的に展示されていた27点のパウル・クレーの絵を見て、僕が
しみじみと感じたのは、クレーの絵は「音楽」である、ということだ。
例えばキュビスムの絵の中には非常に色彩・形のコンポジションが非常に緻密かつ
厳密で、バッハの音楽の堅牢さをも連想させるものもあるが、その絵からは音楽は
流れ出さない。それに対しクレーの絵も、緻密に構成的に作られているのは同じなの
に、どこか動きや音楽を感じるのは一体何故だろう?

理由のひとつとして、クレーの線の扱いがあげられるのではないかと思う。
クレーの絵には曲線が多く、一筆書きのような線そのものにベクトルが感じられるもの
が多く見られる。それが動きを生み出し、動きが時間を、そして音楽を感じさせる働き
を持っているのではないか?
そしてクレーの絵に底流するユーモアと緻密さ。
僕は絵を見るうちに、新ウィーン楽派の作曲家の作品を想起していた。
どこかユーモラスな「リズミカルな森のラクダ」はウェーベルンの変奏曲作品27を
思い出させるし、緻密で堅牢な「雷雨の後の庭」はシェーンベルクの精緻な作品の
いくつかを想起させる。
新ウィーン楽派の作曲家たちも、現実や感情と密接に関わる「調性」を手放すこと
で新しい表現の領域に踏み込んで行ったが、クレーも現実や具象と関わるものを
手放すことで新しい絵画の領域に踏み込んで行った。
この辺も共通項が感じられとても興味深い。

さて、クレーの絵を離れてもう一つ面白かったのは、自分がシュルレアリスム絵画に
ひどく心惹かれる、という事実だった。僕は左脳論理思考型人間なのだがシュルレア
リスム絵画の右脳直感で描かれた超現実的な世界を見ていると、とても心地よく好ま
しく感じられる。
いったい何が原因なのだろう?
これについては現在の所、解釈が思いつかない。

最後に苦言を一言。
今回、音声ガイド機を借りたのだが、この解説が冗長かつ内容空疎でがっかりした。
(実際のところ、解説を二つ三つ聞いて失望したので以後聞くのをやめた。)
音声ガイドは絵を見る時のささやかなヘルプをしてくれれば良いので、興味深い
エピソードを語ってくれる必要はない。控えめにかつこちらの集中力を切らせない
ような声質と内容にしていただくように強く希望したい。

BUNKAMURA「ピカソとクレーの生きた時代」