風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

台北・故宮博物院

大変にハードな台湾出張は金曜日で終わり、土曜日の午前中、駆け足で台北
故宮博物院を巡ってきた。実に15年ぶりである。
故宮博物院は世界四大博物館の一つとされており、国民党が台湾に脱出した際に
持ち出した北京・紫禁城に納められていた中国王朝の数々の至宝を収蔵している。

前回見たときも、清代の精巧かつ細密な細工物の数々に圧倒されたのだが、今回
も前回よりさらに強く感じたことがある。たとえば翠玉白菜(白菜にキリギリスと
イナゴがとまっている様子を翡翠から掘り出したもの)や彫橄欖核舟(オリーブ
の種に恐ろしく細密な彫刻を施したもの)などに圧倒され、凄いと思いつつも
「すごいけれども、やはり工芸品」と改めて感じたのだ。
以前「正倉院展」という記事で触れたのと同じことなのであるけれども。
しかしながら今回、清朝の工芸品や美術品、陶器群を集中して見ることができた
お陰でさらに思考は整理された。それというのも清朝のこれらの作品はある意味
で「極端」であったからだ。
何が「極端」か、というとマニエリスムが極端なのだ。
つまり、極度に技巧的・作為的なのである。
誤解を恐れずに言えば、それは悪趣味の領域と言ってよいのではないか。

ピアノの巨匠、ウラディミール・ホロヴィッツの編曲した曲でアメリカ人なら
誰でも知っている「星条旗よ永遠なれ」という曲がある。これは、聴いた人は
誰でもひっくり返るほどの超絶技巧曲で、強烈なインパクトがあるのだが、
断じて「芸術」ではない。極度に洗練された高度な技巧の披露はなされては
いるけれども、ひとの魂を動かすようなそんな曲ではないのだ。
僕は、清代の工芸品、美術品、陶芸品の数々を見るうちにホロヴィッツ
星条旗よ永遠なれ」をずっと聴かされているような思いになり、正直辟易
してしまった。

今回、僕が心うたれたものは二つある。
一つは宋代の白磁青磁の作品の数々。
そのシンプルさと造型の完璧さ!
特に「南宋官窯青瓷葵花式碗」とだけ書かれた作品には参った。
僕が焼き物を見て「欲しい!」と思ったのは生まれて初めてである。
もう一つは書画である。
山水画も書も西洋絵画のように何度も何度も塗り直し、やり直しはきかない。
だからそれに起因する緊張感に満ちている。
画家、書家のこの一瞬に賭ける思いが伝わってくるようで息を飲んだ。

土曜日の午前中ということでそれほど混んでいないことを期待して行ったのだが、
ガイドに率いられた団体客でいっぱいでゆっくり鑑賞できなかったのは少々残念
だった。それに3時間ほどではこの博物館を鑑賞するには全く不足である。
これからも台湾出張はありそうなので、ゆっくり鑑賞するのはまた次回以降の
お楽しみとしよう。

故宮博物院のHP