風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

寺神戸亮「バッハ・無伴奏チェロ組曲」リサイタル

古楽器奏者の寺神戸亮氏がバッハ無伴奏チェロ組曲の2番、4番、6番を弾く
コンサートに行ってきた(ノワ・アコルデ音楽アートサロン)。
このコンサートは現代チェロではなくバッハの時代に使われたと考えられる
ヴィオロンチェロ・ダ・スッパラという楽器、所謂『肩掛けチェロ』で演奏
されたものである。

バッハの「無伴奏チェロ組曲」はそもそも「本当はどんな楽器のために書かれ
たのか」現在でも決定的な答は見出されていない。この曲を現代チェロで弾く
には演奏不可能な和音やバッハの時代には知られていなかった奏法が必要な部分
があることから、現代チェロのような楽器向けと考えるのは無理があるようなのだ。
寺神戸氏はその謎の楽器の候補とししてこのヴィオロンチェロ・ダ・スッパラを
挙げる。この楽器を使うと指使いも奏法的にも無理なく無伴奏チェロ組曲が弾ける
こと、そしてバッハの時代にこの楽器が広く使われたことなどが傍証として挙げ
られている。(このあたりは下述のCDの解説文に詳しく非常に面白い)。

さて、コンサートが始まって最初にまず感じたのは、それほど大きくない楽器
なのにとてもよく鳴る、ということだった。特に低音弦はガットに二重に金属線
を巻いたというものだそうだが、実に朗々と美しく鳴る。
スッパラの大きさを考えるとどうしてだろう?と不思議に思うほど。
一方、この「鳴る」ということとも絡んでいるかもしれないが、演奏中二つの点
で違和感を感じた。
一つは共鳴音である。スッパラの本体が共鳴しているのか、開放弦の共鳴かは定か
ではないのだが、演奏中ずっとその耳障りな共鳴音が響いていた。
僕はたまたま演奏者の手前2mという超至近距離だったのでよけいに気になった
のだろうとは思うが、あれは一体何だったのだろう?
それともう一つ、スッパラは非常に調律が狂いやすい楽器なのだろうか、一つの曲
組曲、という意味ではなく舞曲)が終わるたびに調弦し直していた。
これが著しく組曲の演奏における一体感を削いだことは否定できない。
しかし、一つの舞曲を演奏している途中でも調律がズレてきて、最後のほうは和音が
綺麗に出なかったり、音程が変わってくる状況でもあったので、これはやむを得ない
のかもしれないとも思うが。(当日会場で売っていたCDを求めたので聞いてみたが、
こちらのほうは当然ながら上に書いたような問題はなかった。)

バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲

バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲

演奏、表現そのものは見事なものだと思った。
ピッチが低いこと(A=415Hz)とも相まって現代チェロのような輝かしい音や大きな
ダイナミックレンジは望めないものの、逆に素朴さや軽やかさが感じられる音質で、
寺神戸氏独自の即興的な装飾音も付加されたこともあり、とてもリズミカルで魅力
的な演奏だった。無伴奏チェロ組曲といえばどことなく重々しさも感じられること
も多いのだが、寺神戸氏の演奏はそういった固定観念とは無縁のものだ。
特にクーラントジーグなど速めの舞曲で特にこういった魅力が際だっていたよう
に思える。

会場はわずか50人強しか入らない、小さくてインティメイトな空間で、休憩時間
には無料でチョコレートドリンクが振る舞われるとても温かな雰囲気のものだった。
換気が不十分で息苦しさが感じられたことだけが残念。
非常に興味深い演奏会だった。