風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

わたしを離さないで

英国の作家カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を読み終わった。
読後感は極めて複雑で錯綜したものだ。
これは一級品の小説を読んだときだけに湧き上がる独特の感慨だ。

この小説は「ある制約」(実に仰天するような制約!)を受けた人たちの静かな静かな
物語である。もちろんこの小説が主人公たちに付与した「制約そのもの」が論議の的に
なるであろうし、社会として今後してゆくべき事項であるだろうが、僕が感銘を受け
かつ考えさせられたのは、その与えられた「制約」は本質的には我々を縛っている
制約と同じである、という点だった。
それは『人は本人の希望とは関わりなくある環境に生まれ、生き、そして死ぬ』と
いう、避けがたく、かつ身も蓋もない制約である。
普段、僕たちはそれを意識の表面に顕在化させずに生きているのだが、この小説のよう
にある「制約」を与えるとそれはのっぴきならない「運命」として意識されることに
なる。

たとえどんな制約があっても、未来に希望が限られていても、人は生き、他者を愛し、
もがき苦しみながら「生の意味」を求め続けるものだ。たとえその「制約」が他者
からみて絶望のどん底で何一つ希望がないように思える状況であったとしても。
著者はそういう葛藤や思いを激しいドラマチックな訴えとして描くのではなく、
静かな諦念と、苦しみと、切ない思い出の風景の中に淡々と描き出す。
登場人物は、切ないほど普通の人たちだ。自分が愛されたくて、人を愛したくて、
誰かに嫉妬して意地悪をし、嘘をつき、優しく気高くて卑怯で、喜び、苦しみ、
そしてプライド高く意地を張る。
そのありのままのありようが、十分美しい生だと感じられる。
読了した時、僕の心の中には哀しみと共に何故か「希望」が湧き上がった。
どんな制約があったとしても泥の中であがき続けることそのものが、実は「生きる
意味」なのだ、と著者が励ましているように僕には受け取れたのだ。

文体は実に「日の名残り」に似ていて、一人称の内省的な語り口も共通している。
この小説を読んで、僕はイングランドのちょうど今頃、秋から冬に向かう薄寒くて
雨がちの寒々した景色や、初夏の明るい、それでいてどこか弱々しい日差しの風景
を思い出したのだった。
この小説の舞台はイギリスでしかあり得ない。
カズオ・イシグロならではの実に精緻で細密な描写である。
読み応えのある本を探している方に強くお勧めしておきます。

(ネタバレを避けるために「制約」の中身はは敢えて伏せました。もっとも著者が
 言っている通り、それは小説にとって「それほど重要ではない」とは思います)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)