風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ミレイの「オフィーリア」を見て

渋谷のBunkamuraのジョン・エヴェレット・ミレイ展を見てきた。
予想以上の素晴らしい作品群に息を飲む思いだった。

この展覧会の呼び物はなんと言っても「オフィーリア」である。
あちこちのポスターなどで目にされた方も多いと思うが、今回、実物を目にして
その素晴らしさに圧倒された。
この絵から受ける圧倒的な感銘の一つは、その色彩の美しさである。
植物、水に浮かぶオフィーリアの肌や唇の色、水面の色、それらすべての色がバラ
バラにならず、絶妙な考え抜かれた構成美を形作ってゆく。
詳細に見てゆくと、緑にしたって描かれている植物ひとつひとつで微妙に違うの
だけれども、その違いがすべて画面の構成にとって意味のある違いなのだ。
名画というのはそういうものなのかもしれないが、やはり目前で見るとその印象
は圧倒的と言わずにはおれない。

そして、この絵の細部の繊細な描写の凄さ。
たった4ヶ月でこれが描かれたというのは本当に信じがたい。
この絵を見た瞬間、ボタニカルアート(植物を恐ろしく詳細かつ写実的に描いた絵)
のようだ、と思ったのだが、実際にこの絵が当時展示された時、植物学者が学生を
連れて見に来て、この絵を植物学の講義に使ったという逸話があるそうだ。
とにかく、ひとつひとつの植物の描写の詳細さ、細密さは驚異である。
そして、この絵に描かれた恐ろしく写実的な植物から、水面から、オフィーリア
から、その対象物すべてにピントが合っており、描写には一切の粗密がない。
普通、そうなると画面はごちゃごちゃした混沌になり見る者の視線は集中しにくく
なりそうなのに、、この絵を見るとき僕の視線は見事に整理されてしまう。
見る者の視線は、死にゆく狂女オフィーリアのエロティシズムさえ感じさせる表情
と手に自然に集中するのだ。
このオフィーリアのなんとも言えない表情!

「オフィーリア」以外にももちろん沢山の作品の展示がある。
多数の肖像画やスケッチ、それから風景画など。
肖像画では、人物がきりっとした意志的な表情をしていることが多い。
これがミレイの美意識であり人生観の現れとも思える(もっとも注文仕事であった
肖像画が多かったことを思うと、そこには商売的な配慮もあったかもしれない)
しかし一方では、実に微妙で複雑な表情をした人物画もある。
その意味ではミレイの肖像画がコローのそれと違うのは、人物の表情からその心理
を読み取る楽しみがあることかもしれない。例えば「ベラスケスの思い出」という
絵はベラスケスの有名な「マルガリータ王女」を模したモチーフで描いた少女の絵
なのだけれど、この絵の少女は、明らかに沈んだ表情をしており、それをミレイは
そのまま描写している。
ミレイは女性心理を読み取る術に長けていた、とも言われるがその観察力が肖像画
からも存分に読み取れる。

展覧会を順を追ってみてゆくと、「オフィーリア」に見られる超細密的表現はミレイ
の初期のもので、中期〜後期は画風もずいぶん変わり、新しい表現を追い求めるチャ
レンジもなされている。
それはそれで楽しいし、素晴らしいのだけれど、僕にはやはり「オフィーリア」こそ
がこの展覧会で忘れがたい感銘を残した一枚だった。
この絵は普段はロンドンのテイトギャラリーまで行かなくては見られない。
読者の皆様にも一見されるよう強くお勧めしておく。


ミレイ「オフィーリア」

Bunkamuraのサイト