風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

バッハ・コレギウム・ジャパン「ブランデンブルク協奏曲全曲演奏会」

昨夜ミューザホールのバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会に行ってきた。
曲目はブランデンブルク協奏曲第一番〜第六番の全曲演奏である。
ブランデンブルク協奏曲はバッハがブランデンブルク辺境伯ルートヴィヒ公に
捧げた曲集で、六曲から成るがそれぞれの曲で楽器編成が大きく異なることから
一度に全曲演奏されることは珍しい。
バッハ・コレギウム・ジャパンは世界的にも名前の知られた古楽器演奏集団で
あり、最近僕のお気に入りの寺神戸亮氏も参加している。
ま、いろいろな意味で楽しみな演奏会である。
いまにも雨が落ちてきそうな鉛色の空の下、川崎に向かった。

第一番。
あれっ、と思ったのは金管の音のバランスが大きいこと(ホルンに相当するコルノ
・ダ・カッチャという楽器)。
それに呼応してかどうにも弦の音が前に出てこない。
最近の古楽器のバッハ演奏らしくテンポが速くきびきびしているのは好感がもてる
のだけれど、この金管の音のバランスには正直違和感を感じた。
これはホールの座席の位置のせいなのかもしれないとも思うが。
ほかの演奏を確認したくて普段聴いているCD、カール・ミュンヒンガー指揮シュト
ゥットガルト室内管弦楽団の演奏を再生してみた。
50年前のモダン楽器での名演奏である。
やはり金管の音は相当抑えられていて背後で遠慮がちに鳴っている。
聴き慣れていないが故に違和感が強かったのだろうか。

違和感の原因はそれだけではない。
これは僕ひとりの問題なのかもしれないが、僕はどんな演奏であれ金管楽器には
いつも冷や冷やしながら聴いている。演奏がとても難しいのはわかるが、交響曲
などでも金管がきちんと演奏されることはあまり多くない(ブルックナー交響曲
のように金管が「咆吼する」たぐいのものは逆に安心できるのだが)。
今回の演奏でも音が裏返りそうになったり、入りの強さが大きすぎたり、やはり
安心はできなかった。そういう余計なことに気を取られなければいいのだが、
そういった事情もあって正直第一番、第二番(こちらはトランペットだが、バラ
ンスも危なっかしさも同じ)は楽しめなかった、と言わざるを得ない。
この金管のバランスが指揮者の鈴木氏の意図とは思えないのだが、どうなのだろう?
彼らのCDを買って聴いてみればわかるのだろうけれど。

第三番から演奏は俄然良くなった。
率直に言って、編成が弦とチェンバロ木管だけになったことが一因だと思う。
また第三番の第二楽章はたった二つの和音しかない楽章で、通常は即興演奏するか
演奏されないかなのだが、今回は鈴木氏の新しい試みとして三台のチェンバロ
ための協奏曲第二番ハ長調BWV.1064)の第二楽章をホ短調に移調したものが演奏
された。僕にはその試みの当否を言うことはできないが、音楽としてはごく自然な
形で流れていたように思う。
第四番もヴァイオリン独奏(若松夏美氏)もリコーダーもとても素晴らしく安心して
楽しめる演奏だった。

しかし、今日の白眉はやはり第五番であったと思う。
もともとこの第五番はブランデンブルク協奏曲の中でも華やかで技巧的、かつ有名
な曲ではあるのだが、速めのテンポで演奏される余分なものがそぎ落とされマニエ
リスムとは全く無縁な、素晴らしい現代的で筋肉質のバッハだった。
特にヴァイオリン独奏の寺神戸亮氏は素晴らしい。
この人がソロを取ると、不思議に音楽は驚くほどよく流れるようになる。
渓流を一直線に流れ落ちる水のような清冽な演奏、とでも言えばよいだろうか。
この人のバッハをもっと聴きたい、と改めて思った。
第六番も良い演奏だったが、僕はあまりこの曲は好きではないので感想は割愛。

以上の通り、僕の感想としては後半尻上がりに良くなった演奏会というもの。
来て本当に良かった。
それにしても、ミューザホールのホワイエ、通路は狭すぎる。
今回の演奏会のようにほぼ満席になるとまるでバーゲンの催し物会場だ。
なんとかしてもらいたいものである。