風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「有能さ」の条件

ゴールデンウィーク
自宅に帰ってきたが、DVDと読書三昧に毎日である。
特に「バンド・オブ・ブラザース」の原作のほうを読み、DVDも数話分見た。
この作品についてはいずれ感想を書くが、登場人物の次のフレーズにインスパイア
される所があり、以下に抜き書きする。

【引用始まり】 ---
リプトンは、つぎのように語っている。
「戦場では問答は無用なんだ。すでに戦いが始まっているという事実は、
誰にも変えることはできない。受け入れるしかないんだよ。
そして、たちまちのうちに、死の臭い、死体、破壊、殺戮、そして危険
と慣れっこになる。」
(中略)
リプトンは言葉を続け、前線を離れ、後方の基地で休養しているときの
兵士の気持ちを、つぎのように説明している。
「いろいろと考え始めるね。友だちが負傷したり戦死したりしたときの
ことを思い出す。どんな状況だったかを。(中略)
そして、戦場から遠いところにいると、死や破壊は不可避なものではない
ように思えてくる。戦争が思ったより早く終わるかもしれないし、作戦
が中止されるかもしれない。
そう思うと、不安になるんだね、実戦に戻ることが。
ところがひとたび戦場に戻ると、そうした疑問や不安は、どこかに
飛んでいってしまって、無神経、冷血、冷静が戻ってくるんだ。
目の前に、やらなければならない『仕事』がある。
自信もよみがえってくる。
戦闘の昂奮も戻ってくる。
そして、敵の上を行って、必ず勝ってやるという気概が行動を支配する
ようになるんだ」
【引用終わり】 ---

僕はここを読んだとき、我々は命を掛けて戦場に赴いているのではないけれども
「仕事」と「休み」の関係は自分とよく似ている、と思った。
職種にもよるのだろうが、僕の仕事は戦争にたとえることもできやすいタイプの
もので、それで言えば、リプトンの言葉の「戦場」を「ビジネス」に、「死の
臭い」や「破壊」は「ビジネス上でのダメージ」に置き換えることもできる。
確かに泥まみれでファイトしているときは無我夢中だし、そこで優位を保つため
にはある種の無神経さやタフさそして冷血が(残念ながら)必要不可欠な要素と
して存在する。

しかしながら「後方」で「休養」している時、僕には別の自分が戻ってくる。
「戦う」ことにそもそも意味はあるのか?とか、ビジネスフィールド(=戦場)
に戻るのは嫌だなぁ、とかそういう思いが心の中で首を持ち上げるのだ。
そして休みが明けて、僕はまたフィールドに戻る。
そして再びアドレナリンが体を駆けめぐり、僕は戦士に戻る。
その点では、リプトンと同じだ。

「バンド・オブ・ブラザース」で取り上げられている部隊は米国陸軍の中でも精鋭
中の精鋭で、その中でもこのリプトン軍曹(後に少尉)は非常に優秀な隊員として
知られている。彼が戦後はアメリカの超有名企業の海外事業の総支配人になったの
をはじめ、この部隊の隊員たちは戦争が終わって故郷に戻ってからも民間企業で
高く評価され、出世し成功した者が多い。
うまく言えないけれども、戦争という無意味さと無慈悲さの象徴のような場に
あってさえ、「ON」と「OFF」を割り切って切り替えることができ「OFF」
の時に想起する思いに過度にひっぱられないことが『有能』の一つの条件なの
かもしれない、と思った。
『有能』であるためには、強くあらねばならない。

そして、強くあるには、単純であらねばならない。
しかし、単純であることは、知的であることとは相反する。
例えば、この本に出てくるウェブスター二等兵などはそうだ。
ハーバード大卒で文才があり、戦闘の間も詳細な日記をつけ(その記述がこの物語
にも多く取り上げられている)有能で優秀であったために昇格を何度も持ちかけら
れながらもそれを断り、最後まで一兵卒で終戦を迎えたウェブスターは、戦後も
仕事はうまくいかないまま世を去る。

彼の知性は、自分が単純になることに耐えられなかったのだ。
世界や人生の複雑さを知的な態度を失わないまま常に受け止めようとすれば、
強くあり続けることはできない。
これは、ある種の人間には難しいことなのである。

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