風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

崇高系クラシック曲

そもそもクラシック音楽とその他の音楽には質的な違いはあるのだろうか?
それとも、音楽は音楽、他ジャンルと違いはないのだろうか?
どんなジャンルであろうと音楽には違いはない、素晴らしいクラシック音楽がある
ように、素晴らしいポップス音楽、素晴らしいジャズ音楽、素晴らしい民族音楽
があるが、そこにはジャンル内での優劣はあっても質的な差はない、という意見も
よく聞かれるところだ。
はたして本当にそうなのだろうか?

僕は正直なところ、ポップスやジャズやその他のジャンルの音楽に疎い。よって
これは読者の皆さんにお聞きしたいのだけれど、他ジャンルの音楽にもクラシック
音楽で(一部マニアの間で)「崇高系」とよばれるたぐいの音楽があるのだろうか?
僕はこれまでの人生では、この系統の音楽に関してだけは他ジャンルでは耳にした
ことがない。だから、もしもクラシック音楽に他ジャンルと何らかの質的な違いが
あるとすればこの部分ではないか、と僕は思っているのだ。
では「崇高系」とよばれるクラシック曲にはどんな曲があるのか?
例を挙げると、例えばバッハの「マタイ受難曲」とか「ロ短調ミサ曲」、ベートー
ヴェンだと最後期のピアノソナタ(30番以降)や弦楽四重奏曲交響曲第9番
ブルックナー交響曲第8番や第9番といったような曲のことだ。

クラシック曲にもポップスと共通するタイプの曲が沢山ある。
例えばロマン派の曲の大半はポップス系とよく似た人間の喜怒哀楽を基本的に
ベースにした、生の感情の「揺れ動き」や「揺れ動かされ」が曲の根底にはある。
もちろん大半の曲には歌詞はないわけだし、ポップス等に比べるとずっと長くて複雑
なので、作曲学的なテクニックは駆使されていてそれによって聴く側も集中を保って
存分に感情を動かされるように作られてはいるけれど、いずれにせよ(生や死を含め)
この世にある生の感情の範囲をその範疇として扱い、作られているように感じる。

「崇高系」とよばれる楽曲を聴くとき、僕はこの世の人間の世界や感情を超えた
もっと大きく気高いものの現れや、それからのメッセージを感じるのだ。
そして、こういう曲から受ける大きな感動は、他のどのジャンルのどのタイプの楽曲
でも味わったことがない唯一無二のものと言っていい。
(だから、クラシック音楽が勝っている、優れている、と言っているのではありません)
しかし、、こういうたぐいのことを言葉に書くのはとても難しい。
どう説明したらいいのだろう(笑)

例をあげてみよう。
今、この記事を書きながら僕が聴いているのはバッハの「無伴奏ヴァイオリンの
ためのソナタとパルティータ」の中のソナタ第3番なのだが、この曲集全6曲は
一切の伴奏はなく、たった一丁のヴァイオリンで弾くようになっている。
この曲集を聴いていて浮かぶイメージはこんな感じだ。
絶対零度の宇宙空間に星々が音もなく運行しており、その中に一丁のヴァイオリン
が浮かんでおり、音楽が虚空の中で朗朗と流れる。
目をつぶってこの曲を聴いていると、短調の曲であろうと長調の曲であろうと
「寂しい」とか「悲しい」とか「楽しい」とか、そういう感情は浮かんでこない。
感じるのはただ「気高さ」「崇高さ」そして「人間やこの世を超越した何か」。
うまく言葉に言い表せないが、そういったものが混ざり合った何かが沸き上がって
きて涙が出そうなほど感動してしまう。

いや、このことについて僕が下手な文章でぐたぐた説明するのは無駄というものだ。
練達の士が過去にもっと良い表現で書いているのだから。
吉田秀和氏の文章を二つ引用してこの稿を終わる。

【引用始まり】 ---
ベートーヴェンピアノソナタ第32番について)
この音楽では、自分が音楽の中に深く連れて行かれ、陶酔が深まれば深まる
ほど、その中では、自分はよりはっきりめざめるようになり、あらゆる細部の
微妙な生起に対して注意をすることができるようになる。− あるいはその逆に、
私がその音楽の中で、ますます注意を深め、敏感に反応し、目ざめるように
なればなるほど、外界の世界から切りはなされた私の陶酔はますます隙間の
ない、より深い、より全体的なものに、なってゆくという認識が生まれてきた
のである。
【引用終わり】 ---

【引用始まり】 ---
ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏について)
人間という存在は、よろこんだり、怒ったり、陶酔したり、ものすごく目覚
めていたり。信じたり、疑ったり。愛したり、憎悪したり。宥和したり、
格闘したり。こどものようだったり、いじわる爺さんになったり。やさしか
ったり、かたくなだったり。あらゆる人間を許し、抱擁しようとしたり、
誰ひとり近よることを認めず、孤独の闇の中で、ふくろうみたいに目ばかり
ぎょろぎょろさせていたり。冷たくおしだまったまま、しかし両眼から涙を
流していたり。
といった具合に、「より人間的に」なればなるほど、同時に単なる人間的な
ものを越えた存在になるのだ。いや、人間を越えてしまったというのではない。
人間を越えた存在への予感と、それへの触手が生まれてくるという方が正確
だろう。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲は、根本において、音楽と
なった祈りなのだ。
【引用終わり】 ---

バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ

バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ