アジアカップ 日本vsオーストラリア
昨夜はアジアカップの準々決勝、日本とオーストラリアの対戦をテレビ観戦していた。
去年の6月のワールドカップ初戦でオーストラリアに食らった惨敗に耐えかねて、
「僕がおかしいんでしょうか?」という記事を書いたのだけれど、今回はそれから
約1年後の対決だ。選手も監督も「リベンジなんて意識はない」と語っていたけれ
ど、僕は率直に言って特別な感情抜きで見るのは難しかった。
さて、試合については既に報道されている通り、90分間で決着がつかず、さらに
延長戦30分を終えて1−1の引き分け。最後はPK戦で日本の勝利となった。
ただ引き分けと言っても、実質は圧倒的に日本のサッカーが勝っていたと思う。
運動量の面でも、質の面でもオーストラリアのそれを完全に圧倒しており、気象や
コンディションやオーストラリア側に退場者が出たことを差し引いても、内容に
おいて日本が凌駕していたことは疑いない。
だからこそ、PK戦で勝つべきチーム(日本)が勝ったときにはずいぶんほっとした。
さて、1年前、僕が怒りに任せて書いた記事で挙げた項目を振り返ってみたい。
それぞれの項目は1年後の今、オシム監督の手でどのように変化しただろうか?
「守ってカウンター」はまだ日本のサッカー文化ではない、ということを。 |
面白いことに今回のアジアカップでは日本はかつてジーコジャパンが標榜していた
「ポゼッションサッカー」を実行している(笑)。前回アジアカップのジーコジャパン
こそ、実を言えば「守ってカウンターのチーム」だったのだ。
今回のオシムの日本代表は圧倒的なテクニックと連動性でボールを保持し続けて
いる。これはオシムジャパンの本質ではなく、気温33〜35℃、湿度70〜80%という
過酷な開催地ベトナムの気候に合わせた「変化形」だと考えられる。
この試合に限らず、日本が一次リーグで奪った得点にしてもボールをゆっくり回し
ながら相手の一瞬のスペース、隙を突いて得点するという形だった。
オシムジャパンのポゼッションサッカーは、ジーコジャパンの足元→足元へのパス
のみによるものではない。連動して動くことでボールを確実にキープし、相手の
スペース、隙を瞬時に突くレベルの高いポゼッションサッカーだと思う。
屈強な欧米選手に対して90分間耐え抜ける守備の文化は日本にないと |
いうことを。
今回は相手の屈強なフォワード、ビドゥカを中澤、阿部とボランチの二人で完璧に
抑え込んだ。セットプレーで一瞬の隙を突いて先制点は取られてしまったが、それ
以降、日本がボールを圧倒的に支配したことで守備に追われる場面はほとんどなか
ったと思う。つまり、攻撃しボールを保持することで、守備に回ってひたすら耐え
続けるような、日本が苦手とするシチュエーションを作らずに済んだのだ。
日本はラインを上げて場合によってはオフサイドトラップも利用して、 |
中盤をコンパクトにして攻撃的に戦う以外、道はない、ということを。
オシム監督というと「マンマーク」と皆が思っていたのだが、このアジアカップ
では、ゾーンで守ってマークを受け渡ししつつオフサイドトラップも使っている。
これによって中盤はコンパクトに形成され、間延びは最小限におさえられている
と思う。
日本の選手たちは精神的な追い込みが不足している、ということを。 |
これについては、一次リーグ初戦のカタール戦引分け後のオシム監督の一喝「お前
たちはアマチュアか!」が効いているのでは?と思う。いや、それ以上に、選手たち
の間にも、このオーストラリア戦に期するものはいろいろあったのではないか?
とても印象的なシーンがあった。
PK戦に向かうオーストラリア最初のキッカーのキューエルが準備中ずっとボールを
リラックスした様子でリフティングしていたのだ。僕はそれを見てなんとなくオー
ストラリア選手たちの「この試合に掛ける気持ち」の程度がわかった気がしてしま
ったのだ(勘違いかもしれませんが)。
一方、中村俊輔は最初のキッカーとして点を決めた後、全力で拳を突き出していた。
この試合に賭ける彼の気持ちの大きさが伝わってくるアクションだった。
思いの強さ、深さでも、今回は日本の完勝だったと言っていいと思う。
ここでまとめたように、オシム監督になってからの日本代表は以前の日本代表とは
まるで違うサッカーを志し目指して発展しつつあると感じている。
もちろん、今回の試合でも「なぜ90分で勝ちきれないのか?」「チャンスでの
決定力がうんぬん」という批判はあるのだろうけれど、それは今後の改善目標と
すればいいのだ。オシムジャパンがスタートしてまだたった1年であることを
考えると、この変化だけでも凄いことではないのか?
最後に本を紹介しておきます。
イビチャ・オシム監督自らが書いた本「日本人よ!」は実に面白い。
この人がいかにロジカルな戦略的思考の持ち主なのかがよく伝わってくる。
僕にとって印象的だった部分を抜き書きしておきます。
【引用始まり】 ---
「私たちは自分たちのプレーをするつもりだ。相手がどうであろうかなんて
私たちが気にすることじゃない」
これは既に相手を過小評価しているということである。そう思ったとしても
口にすることは許されない。(中略)
例えば韓国やイランといった国々と対戦する際に「相手チームの人たちが
何をやるかなんて誰が気にするんだ?私たちは自分流でやるんだ」と言える
だろうか?もしそう言ったのなら、その選手は嘘をついていることになる。
なぜなら、強国相手に自分流だけでプレーすることは不可能であるからだ。
【引用終わり】 ---
- 作者: イビチャオシム,Ivica Osim,長束恭行
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