風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

宇宙の悪意

フィネィグルの法則(Finagle's Law)をご存じでしょうか?
日本語での解説が見つからないので英語版Wikipediaから引用してみます。

【引用始まり】 ---
Finagle's Law of Dynamic Negatives (also known as Finagle's corollary
to Murphy's Law) is usually rendered:

 Anything that can go wrong, will - at the worst possible
 moment.

One variant (known as O'Toole's Corollary of Finagle's Law) favored
among hackers is a takeoff on the second law of thermodynamics
(also known as entropy):

 The perversity of the Universe tends towards a maximum.

【引用終わり】 ---

この二つを訳すとすれば、

 「悪い出来事は、最悪のタイミングで起ころうとする」
 「宇宙の悪意は最大値を取ろうとする」

といったところでしょうか。
書かれているように、これらはよく知られた「マーフィーの法則」のバリアント
ともいえますが、当たっているなぁと、にやりとさせられるブラックジョーク的法則
だと思うのです。
僕は特に、二つ目の熱力学第二法則エントロピー則)のパロディとも言える
「宇宙の悪意」則が気に入っています。

物事がうまく行かないとき、巡り合わせが悪いとき、やることなすことうまくいかず
「宇宙の悪意が最大値を取ろう、と自分の上に焦点を合わせている」と感じることが
あります。
また社会を見ていても、宇宙の悪意の焦点が、ある特定の人や、ある集団に不幸にも
合ってしまうことがあります。その時はその人、あるいはその集団はなすすべもなく、
最大値を取りつつある「宇宙の悪意」に耐える以外ない。
もっとも、その悪意の最大値が極めて大きいと命を奪われることさえあるのですが。

そんな辛く悲しいことは、病気にせよ、災害にせよ、戦争にせよ、歴史上でも何度も
起こっていますね。いや、どんな出来事でも人災である、人が引き起こしたものだ、
因果関係がある以上、対策なり解決策はあるはずだ、という議論もあるわけですが、
一方では「宇宙の悪意」によるものだ、という解釈も必要だ、と僕は思うのです。
これは単なる諦めではなくて、この宇宙の「因果律」をどう考えるか、という
問題に帰結すると思うのですが。

何事にも「因果関係」はあるのでしょうか?
物事が起こる時には明示できるような「原因」があって、それを取り除く、あるいは
解決することで、「宇宙の悪意」の発露は取り除けるのでしょうか?
僕はそうは思っていません。
それは、宇宙で起きる事象の因果関係は単純な線形ではないとか、事象は非線形
複雑系であって計算量問題から物理的に解けない、とかそういうレベルの問題では
なくて、もっと根本的に宇宙が内包する「不確実性」に根ざしていると思うのです。
(これについてもっと書きたくなりましたが、長くなるのでこのくらいで。。。)

人間の感情はこの世界の偶有性、不確実性に対する適応戦略として生まれた、という
説があるようですね。
僕にはそれは説得的に思えます。
先が見通せなくても、五里霧中でも、たとえ自分たちに「宇宙の悪意」が最大値を
取ろうと焦点を合わせていても、人は進む方向を決めて生きようと努力するしか
ないのですね。
そのとき最終的に人が頼りにするのは、恐らく論理ではなくて感情なのだと思います。

幸いなことに宇宙の悪意は長い間、一つの場所に焦点を合わせることはありません。
いつかは、必ずその場所から焦点がズレるのです。
だから、なすすべがない時は『耐える』しかないのだと思います。
今、「宇宙の悪意」ではなく「仕事量」の焦点が我が身の上に降りかかっている僕は
自分に日々そう言い聞かせています(笑)。