風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

「ご冗談でしょう、ファインマンさん」

大変、面白い本である。
とともに、微妙な感情を抱かずにはおれない本。
しかし、この「微妙な感情」を持つかどうかは人それぞれだろう。

リチャード・ファインマンノーベル物理学賞を受賞したアメリカの著名な物理学者
である。彼のノーベル賞は量子電磁力学の分野に対するものだけれど、理科系の学生
には「ファインマン物理学」の著者、というほうが通りがいいかもしれない。
この「ファインマン物理学」は大学レベルの物理学の教科書としては決定版と言って
良い良書とされ、日本の大学でも多く使われている。
(僕たちが学生のころはこのファインマン物理学は日本語訳が出ておらず、その評判
 を聞くだけだったのだが)

さて、この「ご冗談でしょう、ファインマンさん」という本は、変わり者・ファインマン
教授の子供時代からのユーモアに満ちた逸話を集めたものだ。
悪戯好きな科学少年時代、MITでのユーモアに満ちた研究生活、教授になってから
もストリップに通い、ラスベガスのバーの女の子をからかい、絵画に熱中したり、
マヤ文明の数学やら日本語なども勉強しようとしたり、とにかくエネルギッシュで、
愉快で、好奇心旺盛なファインマン氏の様子がよく伝わってくる。
そうである。
ファインマン氏は実に愉快で楽しい人物なのだ。

しかし、だ。
僕はこの本を読んでどうしても、微妙な感情を抱いてしまう。
それは、ファインマンが原爆の開発(マンハッタン計画)に携わり、しかもそれに
夢中になり、開発に携わったことにあっけらかんとしていることだ。

なんとなく、わからないでもない。
ある章で、ファインマンは「平等の道徳性」という名前に会議に出席した際のことを
書いている。そこには、そこに出席した国際法学者、歴史家、神学者などの言っている
ことはまったく要領を得ず、速記タイピストファインマンに対して「先生の言って
いることだけが普通に理解できた」と誉めた、と得意げに書かれている。
まるで、ファインマンはどんなことであっても簡単に言葉で表現できる、出来ないの
表現者の頭が悪いからだ、と言わんばかりだ。

この章を読んで、僕はなんだかやるせない思いでいっぱいになった。
僕の学生時代に周りにも沢山いた「頭のいい理系の学生が文系的な状況を馬鹿にする」
のと全く同じ雰囲気が簡単に想起できたからだ。
そして、この章に剥き出しにされたファインマンの社会的文脈での単純さ、無邪気さ、
子供っぽさが、原爆の開発の一翼を担った、ということに対するある種の無関心さに、
繋がるもののように僕には感じられてしまう。
もちろん、ファインマン氏は飛び抜けて頭がいい。
しかし、彼には大切な何かが欠けていたのではないか。

僕なら、例え敵国に使うものであっても、一度でも原爆の開発に携わっていたら、その
事実は自分の人生に影を落とすし、それについてずいぶんと悩み苦しむだろうと思う。
そして、その苦しみは自分の書く文章の中に、どういった形であれ必ずや影を落とすに
違いない。
そういう事態に陥らず、いくつになっても科学少年のようだったファインマン氏は幸せ
だったのだろう、きっと。

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)