風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

枯渇

フィンランドから帰ってきて記事をアップして約1週間。
書きたいことが何も出てこない。
枯渇している、という感じだ。

どうしても何かを書きたい、と思うときは内的な圧力がある時だ。
自分の内にとどめておけない内発的な圧力があれば、文章は自然に出てくる。
内発的な圧力を生み出す契機になるのは、ある場合は葛藤であり、ある場合は
苦悩であり、ある場合は喜びであり、ある場合は感動であるが、いずれにせよ
何らかの「感情」を伴った思考だと思う。

今の僕は、有り体にいえばぼんやりしている。
たぶん、蓄積した疲労によるものだとは思う。
この半年でも国内出張20回以上、海外出張に3回行っていて、自分でも精神的
にも肉体的にも相当に疲れが溜まってきているのを感じる。
人間、疲れてくると考えを持ったりまとめたりすることがだんだんできなく
なってくるものだ。
それが、すごく悲しい。
以前の記事「仕事と生き甲斐」で書いた内容全くそのままの状況なのだけれど
僕はどうしても仕事100%の人間にはなりたくない。

それと、今の僕には、内発的圧力を生み出す出来事が何もないのだろう。
深刻な葛藤も苦悩も、大きな喜びも感動も、今はたぶんないのである。
つまり、感情的にはとても平坦な状況だと思う。
人間なら誰しも持っている、漠然とした不安や寂しさや、ちょっとした楽しみ
や喜びなどは当然あるのだけれども、それだけでは疲れを乗り越えて書きたい
という衝動を生み出すほどの内発的圧力には達しないのだろう。
もちろん、読者の皆さんは既にご承知の通り、その感情をダイレクトに記事に
するのは僕の流儀ではないけれども、すくなくとも感情は思考をスタートさせる
種火にはなるし、種火がつかない限り内発的圧力も上昇してゆかない。

たぶん、精神的に平和、ということではあるのだろう。
平凡、ということでもあるかもしれない。
さらに言えば、幸せ、ということなのかもしれないのだが。