風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

世間との折り合い

あづみさんの記事を読んだところ、最近考えていたこととリンクしていたので、
勝手ながらトラックバックさせていただきました。

対人コミュニケーションにおいては「いつも誰かとつながっていることが割と
平気な人」と「どちらかというと離れたがる人」がいて、どちらかというと
あづみさんご自身は「離れたがる人」だと書いておられます。僕も自分自身を
省みるとたぶん「離れたがる人」なんだと思います。いや、僕だけではなくて
どうやら僕の家族全員がそうであると言っていい(笑)。

何故なんだろうか、という点を、先日奥さんといろいろお喋りしました。
話しているうちに、僕たちの場合の固有の理由がいくつか見えてきました。

・本質的に世間と折り合いが悪く、世界や世間は自分たちに親しみ深く
 包み込んでくれるものではなくて、hostileな(敵対的な)ものである、
 という認識を心の深いところで持っている。

・よって社会では何重にもペルソナ(仮面)を被って生活している。
 素のままの自分を晒す機会は、家族かごく限られた友人の前以外ではなく
 社会生活一般において極めて少ない。
 だから、他人とずっとつながっているのは苦しい。

・楽しみを人と人の繋がりから生み出されるものよりは、個の精神活動に
 おいて生み出されるものに求める傾向がある。だから家族とはいえ、
 一体ではない。僕と奥さんも全く別々、バラバラです(笑)。

・生物としての生命エネルギー量が大きくない。
 他人や世間と接していると(ペルソナを被っていることもあって)消耗が
 激しい。他人との感情的な軋轢は面倒くさくて、誤解されても嫌われても
 いいから「放っておいて欲しい」と思う性向がある。

「僕たち家族は、異国で暮らす海外駐在員家族」みたいなものだなぁ、というのが
結論でした。言い方を変えれば「難民」みたいなものですから、家族が連帯して
いて仲がいいのは必然かもしれません。

いつも人の中で自分を素のままで出して、いつも人と繋がって居心地良く楽しんで
いる人を見ると少しだけ羨ましくなります。ああいう人達にとっては、世界や世間
はきっと親しみ深く、暖かいものと感じられているのだろう、と思う。
素のままの僕たちは、同類を世間で見つけることが稀なので、ますますそういう
思いを持てないでいるのでしょうか。

僕の両親も奥さんの両親もまっとうな人たちで、立派な家庭を築いて僕たちを
育ててくれたのですが「世間との折り合いは悪く」「素のままの自分を社会で
晒さず」「個の楽しみを内的に持ちつつ」生きてきた人たちでした。
その様子、態度、雰囲気は我々にも影響を与えていたのかもしれません。
家庭の文化はどういう形であれ、継承されるものなのでしょう。

いずれにせよ、これは僕たちの持っている特性です
以前も書いたように、ちょうど「ブッデンブローク家〜」のトーマスがそうで
あったように、自分たちはそれを「引き受けて」生きるしかないのでしょう。
そして、そういう特性そのものには、あまり自分たちの心をフォーカスしない
ほうがいいのかもしれない、とも僕は思っています。

大切なのはどういう特性を持っているにせよ「人生を楽しむ」ことでしょう。
そのためには、もう少し他人や世間や世界に対して安心感を持つことができれば
いいのでしょうけれど。