風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

骨董と美術

最近、茂木健一郎がブログにアップしている講演などの音源をiPodで聴いている
のだけれど、この講演では青山二郎を取り上げて面白いことを言っていた。
青山二郎というと「骨董」なわけだが、茂木は、青山二郎にとっての骨董は、
マルセル・デュシャンにとっての「泉」と同じだ、という。

マルセル・デュシャンの「泉」と言っても知らない方も多いと思うので(美術に
疎い僕としては冷や汗を流しながら ^^;)説明すると、既製品の便器にサインを
しただけで作品としたもので、20世紀のモダンアートにおいて非常に大きな
位置づけをされている作品である。デュシャンのこの手の作品はレディメイド
作品と呼ばれている。レディメイド作品はこの世に無限にあると思われる既製品
から、自らの美に合致するものを選び抜いて作品とするわけで、己の魂を込めて
自らの手で創作(制作)するのとは違う。しかし、逆にそうであるが故の真剣さ
がそこにはあるのだ、と茂木は言う。青山二郎が選びに選んで買った骨董も、その
意味ではレディメード作品なのだ。この切り口から日本の骨董が世界のアート
シーンに繋がる道がある、と茂木は力説する。

そういえば小林秀雄も有名な骨董好きでいくつもの文章を書いているが、そこにも
青山二郎がしょっちゅう出てくる。白洲正子もその交流の中で骨董が好きになり、
文章もいろいろ書いている。そういうことを連想しているうちに、ああ、僕には
知らない世界が沢山あるんだ、美術や骨董の世界なんてまったく手つかずだ、と
思い至った。
考えようによっては、膨大な未知の楽しみがある、ということでもある。
茂木によれば「美しいものを見た時活性化される脳の部位は人が鬱になった時に
もっとも不活発になってしまう部分」だそうだ。その意味では美しいものに触れる
ことは、楽しみや喜びを脳に取り入れて活性化することでもある。

骨董なり美術品から何かを感じ取るには「長い時間をかけて(真剣に)見ること
だ」と茂木は言う。僕は自分がクラシック音楽に目覚めた時のことを思い出した。
あれは高校生の時、今でもはっきり覚えているけれど、ブルーノ・ワルターの指揮
でコロンビア交響楽団が演奏するベートーヴェン交響曲第六番「田園」を聴いた
時だ。あの時、僕は(たぶん)初めてクラシック音楽を本気で聴いた。
そして、その美しさ、素晴らしさに魅せられたのだ。

こんど美術館に行ってみようかな。
自分の好みの美術品をじっくりゆっくり眺めてみればいいのかもしれない。
美術の素晴らしさがわかれば、人生はずっと楽しくなるに違いないのだから。