風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

言葉で規定すること

僕はスポーツ選手の考え方や言っていることに常々興味を持っているのだけれど
今週の雑誌「Number」の記事は面白かった。

【引用始まり】 ---
しかし、鈴木一朗イチロー支配下に置いた今、楽して成し遂げる天才
のイメージを今のイチローに演出したいというシフトチェンジが一朗の中で
行われたような気がしてならない。
自分に厳しいことに変わりはないのに、「自分に甘い」というコンセプトで
モットーを語ってしまうような、そんな天才肌のイチローが、今の彼の理想
なのだろう。(イチロー〜メジャー7年目の境地。)
【引用終わり】 ---

【引用始まり】 ---
− 時には大言壮語とも取れる大口を叩きながらことごとく有言実行してきた。
   なぜ、そうしてきたの?
大畑「自分が弱いからです。折れそうになる気持ちを奮い立たせるには言う
    しかないんですね」(大畑大介〜三度目のW杯へ。)
【引用終わり】 ---

【引用始まり】 ---
谷亮子についての山口香の言葉
「「ヤワラちゃん」という一人のイメージが彼女のなかで作られている。
  それが本当の自分の姿なのか、彼女自身もわからないと思う。」
  (谷亮子〜「柔の道」に生まれて。)
【引用終わり】 ---

どれにも共通していること、それは彼らは「こうありたい自分」をはっきりと
規定していて、それに向かってゆく気持ちを常に持っているということだ。
僕は彼らの姿勢にとても共感する。

プロスポーツ選手たちは特別な人達ではない。
しかし通常の世間よりもより過酷でむき出しの競争原理に晒され続け、成功と
失敗が、賞賛と非難が、常に隣り合わせにある現場に立ち続ける彼らの姿勢や
考え方は、当然ながら夾雑物がそぎ落とされ、より原理化してゆく。
彼らが抽出したエッセンスは僕のような一般人にもとても参考になるのだ。

僕もなりたい自分、ありたい自分像を持っている。
そして、ブログをその目的のために使っている部分がある。
具体的に言うと、大畑大介が行っていること、つまり自分を言葉の力で規定する、
ということだ。
なぜそうするか。
それは大畑同様『自分が弱いから』だ。

言葉の力を侮ってはいけない。
どこであれ、自分が吐いた言葉は翻って自分を規定する。
賤しいことばかり吐いている人間は、自分の吐き出した言葉に汚染されてより
賤しくなるし、言い訳ばかり吐いている人間は、より言い訳がましくなる。
居直ってばかりいる小心者は、より小心なひねくれ者に墜ちてゆく。
「余所では言えない○○を秘密のこの場所で」というのもとても危険だ。
自分を変えようとする意志がないのなら、単に吐き出すこともやめたほうがいい。
それは意志の弱い自分を慰め「いいんだよ」と是認することになる。

言葉はひとの未来を明確に規定する力を持っている。
理解してそれを使うかどうか、それは書き手の意識に委ねられている。