風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ドイツ出張〜3.旅の終わりに

一週間のドイツ出張も今日で終わった。
明日、帰国の途につく。
昔は3週間の海外出張でも気力で持たせることができたけれど、もうそれは
とうてい無理だ。1週間でも十分疲れている。
これが歳を取るということなのだと思う。
写真はいくつかPhoto Albumにて新たに掲載したので、ここでは特別なことではなく、
今回の旅(出張ではなくあえて「旅」と呼ぼう。プライベートな部分では間違いなく
旅だったのだから)について、自分なりに総括してみたい。

直接的な仕事を離れた部分での今回の旅のプライベートなひとつの目的は、独り
でよくよく今の自分について考えてみる、ということだった。
日本にいると日々が慌ただしく流れ、ゆっくり自分の人生を省みることができない。
今回は(日本からメールが来たりこちらでも取引先の人と会ったりはあるが)
例外的なほど独りでいられる時間が長かった。

それはもちろん「寂しい」ことでもある。
もともと寂しがり屋の僕なので、基本的に独りは嫌いだ。
しかし、それ以上に考える時間が欲しかったのも事実だ。
自分は本当のところ、これからどう生きたいのか?
何を一番欲しているのか?
どの方向に、どういう形で歩み出せば良いのか?

今回、自分なりにわかったことが、いくつかある。
僕は死ぬまでに、この世界を自分なりに了解したいと思っている、ということだ。
これは、僕という人間が抱える個人的な大きな欲望だ。
そして、どうやらその了解に到る鍵は「他者と自分との関わり」にある。
僕は、ポスト構造主義的な考え方やサルトル実存主義にどうしても肌合いの
違うものを感じてきた。あまりに欲望や個の実存に囚われすぎていて、自分の
周りを取り巻く他者や世界(もっとはっきり言ってしまえば”現実”)との
関わり方が見えなかったからだ。
はっきり言おう。
僕は、そういうやり方では、この世界を了解できない。

自分なりの了解に到るために、僕はもっと本を読まないといけないだろう。
自分の頭脳・能力だけではこの世界を了解できないのだから仕方がない。
外部からの刺激(読書とか芸術との接触など)を受けてはじめて、
僕の思考はゆっくりと動き出すのだ。
森有正の「バビロン〜」から、今の僕にいちばんぴったりした言葉を引用する。

【引用始まり】 ---
もう僕の精神は自由に自分の心境を吐露していることはできない。
ものとの噛み合わせを通して、硬い岩を掘り進むように、徐々に進むこと
しかできない。そして思想が形をなしてくる時、おのずからそれは言葉と
表現との問題を提起してくるだろう。
すなわち固有の意味での思想と文学の問題になってくるだろう。
【引用終わり】 ---

【引用始まり】 ---
僕は自分の生の存在に強くひびく道を最後まで進まなければならない。
この生き生きとした感覚を喪うとき、僕の生は意味がなくなる。
すべてのことが虚偽の安易さに僕を誘う。しかし僕は牢乎として僕の道を
進む。自分の時間は大切にしなければならない。僕にとって最大の依り
どころは自分の中に、自分の時が流れはじめたことである。これは僕に
とって何ものにも代えがたいものである。
【引用終わり】 ---