風の歌が聞こえますか

僕に聞こえてくる風の歌を綴ります。

ドイツ出張〜2.ヴィースバーデンにて

昨夜、ヴィースバーデンのホテルに入ったが、中央駅から遠く離れていてタクシー
以外駅に出る方法がない。ホテルの周りは閑静な住宅街で車を持っていない人は
黙って缶詰になっているしかない、という場所だ。
今回は他にホテルがとれなかったのだから仕方がない。

昨日はドイツ鉄道の特急列車(IC)に乗ってこの街まで移動した。
あいにくの天気で、楽しみにしていたライン川沿いの景観は残念だった。
ライン川は水かさが増してミルクチョコレート色に濁っている。
(写真はPhoto Albumにて)

このホテルはやたら大きくて人気がなく、がらんとした印象だ。
僕の部屋は1階(日本流に言うと2階)にあるのだが、エレベータの中に照明が
なく、乗ってドアが閉まると中は真っ暗になってしまう(笑)。
これはちょっとした恐怖だ。
それともかく、このホテルの朝食のクロワッサンがすごく美味しく、僕は思わず
初めてパリを訪れたときのことを思い出した。そう、あの時、僕は安ホテルで
カフェオレとクロワッサンの朝食を取り、そのあまりの美味しさに驚いたのだった。

昨日のアーヘン大聖堂でもそうだが、こういうとき僕が思うのは、この”美味
しさ”(あるいは美しさ、でも凄さでもいい)は単にそれだけの事柄ではなくて
ヨーロッパが持つ歴史や文明の集積が、この一点において表出されている、と
いうことだ。
文明や歴史というのは、ときとしてそういう現れ方をする。
気づくか気づかないか、それは人によるのだが。

僕は今回の出張に、森有正の「エセー集成? バビロンの流れのほとりにて」を
持ってきた。森は1950年代にパリに国費留学しヨーロッパと直接触れること
になるのだが、そのあまりの衝撃に東大助教授の職を辞し、亡くなる日までパリで
人生を過ごした。
これは彼が書簡体で自分の思考を書きとめた試論なのだが、その中にフィレン
ツェでミケランジェロを見たときの衝撃がこのように記されている。

【引用始まり】 ---
しかしこの彫刻群だけを見ても、かれが自分の中に一つの宇宙をもっていたと
いうことが言える。それは精神の高みから肉欲にまで到る実に大きいスケール
をもつ人間像で、かれの当時のフィレンツェの人々の生活態度のみならず、
「ヨーロッパ」というものがもつ大きい空間的時間的音階にひろがる全音
を表した、一種の複音楽的大作家であり、その意味でフラ・アンジェリコ
対照的な存在であると思う。
【引用終わり】 ---

ミケランジェロに限らず、森はヨーロッパで見るもの、聞くもの、読むもの、
学んだこと全てに「ヨーロッパ文明」の大きさと重さを感じ、それを自己の中
でどう取り入れ消化してゆくか(そしてそれに彼は「責任」を感じている)に
苦闘することになる。
それこそが彼にとって「己の全存在を賭けて生きる」ということだったのだ。
そしてそれは彼をして東大助教授の職をなげうってでも追求しなくてならない
課題であったし、同時に自分の責任を全うすることでもあったのだ。

僕は彼が言っていること、感じたことの一端がわかる気がする。
「ああ綺麗だね」「ふーん、凄いよね」でやり過ごすことができればいい。
しかし、その背後の歴史や文明の集積に一端気づいてしまった人はもう戻れない。
僕のような人間でさえ、ヨーロッパが築き上げた文明に触れるとき(たとえそれ
が芸術、哲学、文学、歴史に限らずもっと一般的なことにも表出される場合でも)
畏怖と畏敬の念を感じずにはおれない。
畏怖と畏敬の念を感じる対象と自分がどう対峙し、どう血肉化するのか
(それともやり過ごすのか?、もう忘れることにするのか?)
森の言葉をもう一つ引用することにしよう。

【引用始まり】 ---
自分をどこまでもどこまでも引きずりこむ、底の知れない程深い対象にゆき
会うということは人生で最大のよろこびの一つである。しかもそれは同時に
最大の責任の一つなのだ。
僕がこの吟味を通りこすことができるかどうか。
その重みに耐え切れるかどうか。
今や一切はそこにかかっている。
【引用終わり】 ---

森有正 エセー集成? バビロンの流れのほとりにて